阿閉 託夢
あとじ たくむ
めんどくさい、だるい、帰って寝たい……
……あ、危ないから下がってて。術式使う。
無気力で無感情で無表情、そして怠惰。何かに感情を動かす事もなく、笑う事も怒る事もなく、口数も少なく、何を考えているかわからない表情でいつもぼんやりしている。そして、呪霊退治にやる気があるわけでもなく。サボらなければまだマシで、必要最低限の任務しかこなさず、力をつけるべく鍛錬をするわけでもなく、三年になっても四級止まり。「お前、なんで高専に入ってきた?」とは周囲からよく言われる事だが、本人は「さあ……?」とはぐらかすのみ。授業や任務をサボっている時や暇な時間は、高専の敷地内でも見晴らしのいい場所でぼんやりしている。情熱も感情もないこの男がなぜ呪術師を志したのかは、誰も知らない。
相手(呪霊に限らず、人間も可能)が、自身に向けている戦意・殺意・敵意・闘争心といったものを奪い取り、己のものとする。相手からは戦意を喪失させ、己の戦意を増幅させて戦闘に臨む。術式の発動には、相手と己に、呪具である全長20㎝ほどの針を同時に刺す事が必要。ただし、己と同格・格下の相手ならば戦意を完全に奪い喪失させる事が可能だが、格上の相手に対してはすべて奪い取ることはできず、自身の戦意が大幅に増幅するという効果に留まっている。
(暗い廃病院の中、阿閉託夢はズボンのポケットに両手を突っ込んで、緩慢な速度で歩いていた。廃墟だからすでに人間の気配はないものの、心霊スポットとして有名になってしまったこの場所に一般人が立ち入っては危険だからと、“帳”が降ろされ、窓の外は夜の暗さになっている。割れた窓ガラスの破片が散乱した廊下を歩いていると、大きな大きなため息が口からこぼれ出た。この場所に潜む呪霊退治の任務は、本来ならば同級生と二人であたるはずのものだった。そして、あわよくば隙を見て姿を消し、サボろうと思っていたのだ。けれど、その同級生が別の任務で負傷し、この任務にはお前ひとりで行けと通達されてしまった。信頼されているのか、それとも捨て駒扱いなのか。いずれにせよ、面倒なことこの上ない。術師としての鍛錬も、任務も、面倒くさくて仕方がない。可能ならば一日中、草の上に座って景色や空を眺めながらぼんやりして過ごしたい。実際、そうしてサボっている時も多い。――そんなだから、高専の生徒や教師からは「万年四級」と揶揄されるのだけれど、別に等級などどうでもよかった。そんなふうなのに、なぜ高専に入ったのか、術師を志したのかと言われても、答える義理もない。)……めんどくさ……帰って寝たい……帰っていいかな……バレるかな……バレてもいいから帰りたいな……(外には、この“帳”を降ろした補助監督がいる。自分がいなくなれば、彼の責任問題となるだろう。別にそれは構わない。バレないようにこの任務を放棄するのと、ここにいる呪霊を祓うのと、どちらが楽か、消費するエネルギーが少なくて済むか――そんな思考を巡らせていた時だった。――ぬるり。「手術室」とプレートがついた部屋から、這い出してきたモノがあった。人でもなく、動物でもなく、幾本もの手足を持った巨大な昆虫のようにも見える、異形のソレ。どこからどう見ても、否、見ずとも、流れ出る呪力から呪霊だとわかる。歩む足を止めて、それをじっと見つめる。)……三級……いや、二級……? ひどいな……二級だったら、おれには祓えないかもしれないじゃん……帰っていいかな……うん、そうだな、帰ろ……(そう呟いて、割れた窓から外に出ようと窓枠にかけた足を掴んだのは、しゅるるる! と音を立てて伸ばされた呪霊の足だか手だかわからないモノだった。粘液のようなものを纏うソレが巻きついた己の足首と、呪霊の本体を交互に見る。)………………、離してくれない?……ここは穏便にいこう。おれはおまえを祓うのが面倒くさい、おまえは祓われたくない……ほら、win-winでしょ……(そんな人間の言葉を、呪霊は解さない。返ってきたのは、怪獣映画のような咆哮だった。窓と、そして鼓膜がびりびりと震える。ふたたび、無表情のままにため息をつく。それと同時、呪霊がこちらに向かって移動し始めた。みたび大きなため息をついて、制服の裏側から、針というには少し太い、棒手裏剣のような呪具を2本、取り出した。)……和解不成立……しかたない……おれの要求を受け入れてくれたらよかったのに……あ、でも知能があって言葉がわかる呪霊とかめんどくさいな……どっちにしろめんどくさいんじゃん……最悪……(すぅ、と息を吸う。そして、左手に持った呪具を、己の足を掴んでいる呪霊の一部に。右手に持った呪具を、己の首筋に。同時に勢いよく突き刺した。その瞬間、眠たげに細められていた男の目は見開かれ、瞳孔がみるみると開いてゆく。常は感情を表さない顔に、好戦的な笑みが浮かぶ。)…………――――アハハ、アハハハハハハッ!!お前、弱そうなナリして殺意だけは一端に持ってんじゃん!!おかげでオレも超やる気満々だわ!!ッハハ、いいぜこのオレ様が遊んでやる!!ほらほら、来いよ!!呪霊として生まれ落ちた事を後悔させてからオレ様の手で跡形もなく祓ってやるからさぁ!!(腰に下げた呪具である武器を手に、床を蹴って跳ぶ。男の紅い瞳は爛々と輝き、戦意と殺意に満ちていた。――掠気呪法。相手の戦意や殺意やといったものを吸い取る術式。これが、やる気も感情もない怠惰な男の、闘い方だ。)