久百合 要
ひさゆり かなめ
勘違いしないで、全部私のためだから。
まあ死なせはしないから安心しなさい。
デザイナーになるのが夢だった。服飾の専門学校に入学したものの数か月で退学し、同じく幼少から身近にあった呪術の道に足を踏み入れた。呪術師の家系としては上の下くらい。長男なのに家業を強制しなかった両親を失った時のことである。肌の手入れも爪の手入れも髪の手入れも、寝る時まで一切手を抜かないファッションも、いつも通りの自分を手に入れるためのルーティーン。呪いは待ってくれないし、いつ日常が崩れ落ちるかなんて分かりようがないと身を以て知っていた。だからいつでも”過去最高の自分”を更新するために日々の自己研鑽は怠らない。すべては自分のためだ。今日も自分が自分らしくあるために、矢をつがう。
己の髪の毛を媒体にして呪具を生成できる。生成可能な呪具は多岐に渡るが複雑な形状を作ると呪力の消費量が大きくなるため主には弓矢を愛用。髪の毛は事前に切った物でも問題はないが、切ったばかりの髪の方が強い攻撃力を有した呪具となる。「美」による縛りを自ら課しており、髪だけでなく己が美しいと自負があるほど呪力が上昇する故、己の手入れを決して怠らない理由のひとつ。自らの手を離れた後も呪具を自在に操作できるように練習中で、成功する確率は現在五分五分といったところ。
(用意された授業が終わったとて放課後まっすぐ寮に帰ったことは入学してから一度だって無く、久百合にとってみれば寧ろこれからの時間の方が大切だ。基礎体力をつけるためのトレーニングに勤しむ日もあるが最近は広いグラウンドで専ら術式の実践に時間を割いている。数日後に控えたお姫様奪還作戦――なおこのネーミングセンスは推薦者の教師のものである――に向けた鍛錬であることは言うまでもない。まだ中心に矢が刺さっていない的を数秒見つめてから一旦気持ちを入れ替えようと弓からぱっと手を離せば重力とともに落ちていく弓は地面に触れる間際に跡形もなく消えていった。一切乱れは感じないものの髪ゴムを片手で解く、毛先の指通りは悪くない。ちょうど顔を上げたところで目が合ったのは同じ任務を与えられている年下の同級で、そうなると話題はひとつ。気合入ってるじゃん、云々。五条先生からの推薦だから、と聞こえてきたからうっすら笑んだ。)五条先生に推薦してもらえたのはとってもありがたい話よ。何考えてるのかいまいち分からない人だけれど、腕は間違いなく確かだしね。(どうにも胡散臭さが拭えない男ではあるが信用に足る人物であると、己の身を預けてもいい大人だと位置づけているから評価してもらえるのは吝かではない。ないけれど。きっちり結び直した髪をポケットから取り出したハンドミラーで確かめる。完璧だ。そのまま弓を生成、羽の形を僅かに変えた矢も手の中に収める。)ただそれとこれは話が別。私のモチベーションは私が保つの。囚われのお姫様だか箱入り娘だか知らないけど、最速で掻っ攫ってやるんだから。(つがった矢が向く先は的とは正反対。どんな任務だろうが、その相手にどんな事情があろうが己がやるべきことはひとつだから。ふ、と風が止んだ気がした瞬間に放った矢はまっすぐ進みやがて百八十度回転したかと思えばパンッと小気味いい音とともに的の中心に中る。ほら、できた。至極満足そうに笑ったその顔は自信に満ち溢れていた。決して敵を侮っているわけではないけれど、任務失敗の未来など考えていない。だって今日もこうして過去最高の自分を更新することができたのだから。)