卯木 祈織
うつぎ いおり
何にも成れず、何も生まず。消費するだけ。
だからわたし、ゴミなんだって。
大人びていて怠惰、品行方正でクズ。相反する評価を戴く女は、ぼんやり顔でそのすべてを受容する。凪の表情と共に紡がれる言葉、議題。それらへの関心はどれも並列だ。信仰の在り方、明日の天気、教祖様とは何なのか、お化けのうわさ、自分がここにいる意味。何を思考し語ろうが、序列が存在しない彼女は、言ったことを数分後には忘れていることだってままある。なんなら今日の夜ごはんのメニューへの方が幾らか関心が高かろう。何をされても怒らず騒がず喚かず泣かず。かと思えば親指で首を掻き切るジェスチャーを平気でやってみせたり。繊細な面立ちと裏腹にしなやかな神経構造で、どこか眠たげにも見える顔して変わらず“今日”を消費する。
「なんとなく」。なぜここにいると聞かれたら決まってそう答えている。かつてはXの信奉者たる両親のもと連れてこられた背景があったが、当時も嫌がることもなく淡々と受け入れ、その後両親が姿を消しても彼女が住処を変えることはなかった。寄せては引くさざ波のように、日々流されるまま生きている。
(時折吹くそよ風、遠くから聞こえる鳥の鳴き声。長閑というに相応しい、麗らかな午後。揺り起こさんとする声に、半ば沈んでいた微睡みから意識が浮上してゆく。)……寝ちゃってた。(まだうすぼんやりした声を出せば、「知ってるわ!」と間髪入れずに返ってくる。どうやらだいぶお冠らしい。)困ったなあ。(と全然困ったふうに見えない顔でぼやいてもフンと鼻息荒く一蹴されてしまったから、さてどうしようか。)ええと、ごめんなさい。手つきがきもちくてね、こう、睡魔に誘われてしまったの。ほら、ミサちゃんの手、魔法の手だから。(美容院よろしく首回りから膝までぐるりと覆う布と薬剤の匂い。いかにもな日本家屋に似つかわしくない光景は、背後で手袋と共にカラーリング剤を練っていた友人に端を発する。こちらのまっすぐ腰まで伸びるさらさらとした髪を褒めて、そのあといくつかおすすめの髪色を提示されて。要するに自身の髪を染めたいのだなと理解すれば、「染めてみる?」と聞いてみたのだ。そうしたら話はトントン拍子に進んで今に至る。卯木からしたらなんてことのない気まぐれな提案だったけれど、ここまで喜々としてやってもらえるのなら髪も本望だろう。もとより髪色にこだわりなんてないことだし。それはさておき、そこそこに機嫌取りの言葉を並べて宣えば、些か後ろの少女の機嫌は上昇したと見える。頃合いを見計らって「それで、」と口火を切るとしよう。)何の話だっけ………あ、待って思い出した。ここから出たいのかどうかだった。よね?うーん、そうねえ。色々検閲かかるし、たしかに面倒ではあるから。まあ、わからないでもない…。(共感の意志を示しながらも反応は鈍い。どちらかといえば、彼女に気づかれないよう欠伸を噛み殺す方がよっぽど意識を割いていた。)けれど、別にいいかな。…だって、わたしたち、学校に行ったことないじゃない。いや人によってはあるのかな。あるのかも。うん。でもここにいる子たちって、みんな何かしら“知らない”し“できない”でしょう。(たとえば知らないこと。世の中の当たり前、近所にどんなお店があるのか、学校で習うこと。たとえば出来ないこと。友達とする寄り道、気になる誰かのSNSをチェック、この壁の向こう側へ行くこと。あらゆるものが足りず欠けている塀の内側の子供たち。)だからね、外に出てもうまくいきっこないのよ。わたしは。(諦観か、ただの関心の薄さか。特に悲しみの情すら浮かべず言い切っても、話し相手たる少女は否定の言葉を重ねていく。「でも、」「だって」。勢い込んだ反論にも眉一つ顰めることなく、物わかりの良い大人のような顔をして頷いてみせる。)うん。いいと思う。(それは多分、肯定ではなかった。十人十色、人それぞれ。やりたいようにどうぞという無関心にも似た真意は終ぞ伝わることはない。卯木もあえて深く追求することなく、ほんの僅か、唇の端だけ吊り上げ微笑みの真似事を。)…ところで、終わった?ほんとう?ありがと。そういえばこれ、何色になってるのかな。(淡々と礼を述べたのち、疑問も提示すれば今度こそ目をまんまるに見開かれてしまう。「知らないままカラーリング受けてたの!?」と、驚愕しきりにちょっぴり、なけなしの良心が痛んだのは気のせいか否か。笑みになる手前のような、眠たいだけのような。曖昧な表情で切り抜けた娘の髪色は、くすみピンクになっていた。自室へ帰る道すがら、職員に焦げ茶から一転した髪色を「桜色か?」と聞かれたので、)桜色って言うには濃い色だと思う。(と答えると、何やら思案げな顔でこう続けられたのだ。「桜の色で濃いって言われるとあれ思い出すよ、言い伝えのやつ」と。曰く――)桜の木には死体が埋まっている。あの花は死体の血を吸い上げ染まるんだ、か……。ロマンチストね。(――数日後。大人たちから、一人の少女がXからの脱走を企てたことを聞いた。その後の処遇は知らない。いや、忘れてしまっただけかもしれないが。ただ、すっかり色の馴染んだ毛先を指で弄んでいた。)