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【3】(さようならを決めた日)

乙無白亜〆 ♦ 2021/01/20(Wed) 02:39[49]

(日に日に自発的に部屋の外へと出て行く回数が増えている。特殊な体質もあって行動範囲を限定れているとはいえど、毎日違った発見のあるこの場所はむすめにとって宝島のようなものだった。日除け対策も校舎のなかでは身に付ける必要がないゆえに、今日びむすめが纏うものは白のワンピースたったの一枚。腕には本の代わりに動物園デートのお土産のうさぎのぬいぐるみを抱え、お気に入りのオルゴールの音色を鼻歌に乗せて口遊みながら、誰が見たってご機嫌な足取りですっかり歩きなれた廊下を進んでいく。今日は医務室で家入硝子の定期健診を受けることになっていた。まっすぐ歩いていって、あとちょっとで階段のある踊り場が見えるぞって、そんな時。)となり……?(覚えのある声が聞こえたから、先刻まで鼻歌を囀っていた小さな口は反射的に頭によぎったひとの名をなぞっていた。いつもならばもうこの段階で彼の元へと迷いなく歩みを進めている頃なのだが、むすめの足はその場に縫い付けられでもしたように動いていない。正確に言うと、動けなかったのだ。今までずっと暢気していた頭が漸く働き始めたみたいに警鐘を鳴らしている。行ってはいけない! 行ってはいけない! ──どうして?)…………となり、もういっしょ、ちがうんだ。(終ぞ足は動かぬまま、去りゆくふたりの足音まで聞き届けた。白い睫毛を閑かに伏して、淋しさを埋めるように腕に抱えたぬいぐるみをぎゅうっと強く抱きしめる。この時頭によぎったのは、てんしさまの御座す白亜に囲われた楽園だった。)

──わたし、かえりたい。(定期健診を終えてすぐ。唐突と、なんの前触れもなくむすめが落とした一言に、いつも気怠げな家入硝子の双眸が珍しく丸みを帯びた。医療用の椅子へ大人しく座るむすめのかおばせはいつも通り色がなく、いっそ人形めいた静謐さすら宿している。実際頭はびっくりするほど冷静だった。急に帰りたいなどと宣う理由に護衛たる彼との不仲を疑われるのは当然のことであったが、もちろんそれは違うのだとはっきり否を伝えるべくふるふると小さくかぶりを振る。仲が悪かったなら、こんなふうに迷うこともなかった。伏した紅玉の眸が愁いに揺蕩う。)ちがう。 となり、やさしい。あったかいひと。 でも、てんしさまとちがう。……だから、わたし、かえる、しなきゃ。(ずっと考えていた。それこそここへ連れて来られたその日から、いつかはXへと帰らなければいけないと。まだ彼と遊んでいたいがために外出の折は信徒に見つかるのを恐れもしたけれど、それは理解していたからだ。ずっとここにはいられないこと、ずっとこのままではいられないことを。だってここはあたたかいけれど、乙無白亜の家ではない。あの日外へ連れ出された瞬間から、戸籍上でもむすめの帰る家はXと定められている。それに彼は“てんしさま”じゃない。だから一緒にいられないのは当たり前で、だのに紡いだ音はひどく淋しいものだった。でも是非を問う言葉には、はっきりと頷いてみせる。)うん、いいの。 てんしさまに、あやまる、して、おはなしきく、してもらう。 もう、となりがこまる、する、ないように。(彼を困らせたくない。たぶん、一番の帰りたい理由はこれだった。だから生贄になるために帰るのではなく、てんしさまに「ごめんなさい」をするために帰りたいと思った。まずは約束を破ってごめんなさいと。それから生贄にはなりたくないって伝えた上で、ごめんなさいをしよう。ひとを殺めることもしないでほしいとお願いして、捧げるのだって生贄ではなく鶴にして。そしたらきっと、彼がXを潰すこともしなくて済んで、みんなしあわせになれるはずだからって。説明すればわかってくれるはず。やさしいてんしさまなら、救いを与えてくださる教祖様なら、きっと。 そう信じている。)

となりに、おかえり、いう、できるかな。(帰りたいとはいったものの、いつ許しをもらえるかなんてわからない。読み終えた紅の紙飛行機をうさぎのぬいぐるみの隣へと置いたなら、むすめは再び机に向かった。てんしさまに赦しをもらって、いつか彼に「もう贄じゃなくなったよ」って言えたなら、笑ってもらえるだろうか。あんなふうに切ない顔をさせることもなくなるだろうかって。おひさまみたいにあたたかいひとの笑顔を想いながら、折り鶴に祈りを籠める。ここに居る間はいつものように折り鶴をドアノブへと吊るすけれど、もしも彼の居ない間にこの身がXに帰っても、しあわせを託した鶴をここへ残していけるように。たくさん、たくさん、折っていこう。)

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