乙無白亜〆 ♦ 2021/01/06(Wed) 00:17[23]
(Xに来る前の生活ですらしんどいと感じたことのない暢気で、無知で、自分を顧みないむすめだった。向けられる悪意には疎い癖、差し伸べられる善意には気付けないからこんなふうに悦んで命を投げ出す都合のいいお人形に成り果てたというのに、自覚がないゆえ悪質だ。妄信ほど恐ろしいものはない。実際、彼が紡いだ謝罪だってなにが「ごめん」なのかさっぱり理解をしていなかったのは、30分だけという言葉を妄信して、むすめのなかで「戻る」のが当たり前だったからに他ならない。気にしていないのはそんな理由。彼の困り顔に心が向いていたことも、それなりに大きく影響していたけれど。)しあわせ、たくさん、ふえるしたら、きょーそさま、よろこぶ、思う?(むすめの深くに根付くてんしさまの声。『これからは教祖様の礎となるべく生きなさい』は、こういうところに帰結する。しあわせをたくさん増やして、いつかしあわせにこの身が天へと召されたら、この命を礎とする教祖様へも分けられるものなのだろうかと。歳を問う言葉には、)いくつ? じゅうよん、なる。(手と手で1と4を作るむすめのかおばせはちょっぴり自慢げだ。もっとも自分の誕生日など祝ってもらった記憶がなければ自然と理解出来るものではなく、むすめにとっては年齢も等しく記録上の数字でしかない。むすめを施設から引き取るにあたり戸籍データを診た信徒のひとりに告げられた年齢を、覚えたての言葉を発したがる子どものように口にしただけのこと。生まれてこの方全く働いてこなかった所為で脳が知識に飢えているのか、記憶力はもちろん学習能力はすさまじいものだった。)……、…てんしさま、むかえ、くる したら、(むすめの紡いだ帰りたくないは、贄になりたくないからではない。もっと遊んでいたいから、もっとし彼と一緒にいたいから。そんな、単純に家に帰りたくないとごねる子どもの我がままの延長戦だった。ゆえ信徒が迎えに来たならば、たぶんあの時のように躊躇なく手を取るのだろう。言葉を濁して紅玉を俯けるさまは、怒られたらどうしようと怯える子どもの仕草とおんなじだ。けれど口にした帰りたくないもまた紛うことなきむすめの本心なれば、彼の「助ける」にどこまでも従順についていくだろう。だが「帰るか!」そんな問いかけには、きょとん。)……どこに?(まっかな紅玉を大きく瞠り、眸を縁取る白い睫毛をはたりと瞬かせて。真正面にある彼のかおばせと睨めっこでもするみたいにじぃっと見つめては、不思議そうに首を傾いだのだった。真実無妄のボケだった。)