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【ep】(That's life.)

阿閉託夢 ♦ 2021/02/08(Mon) 18:55[84]

(――2018年、10月31日。日の暮れた新宿、東口方面。人の多い歩道を、スーツ姿で歩く男の姿があった。疲れた雰囲気を滲ませるその姿は、どこからどう見てもサラリーマンだ――薄い紅色が入ったサングラスをかけている事以外は。呪霊の中には、目が合っただけでこちらに向かってくるものもいる。だから呪術師にはサングラスや眼鏡をかけている者が多い。呪術師をやっていた頃はそんなもの即座に祓ってしまっていたから、自分には不要だった。でも、今は違う。仕事中はさすがにかけられないけれど、職場に入る前と出た後には、欠かさずかけるようにしている。今だって、ほら、道端にいる。低級だし、今すぐ害をなすようなものじゃない。それに、自分はもう呪術師を辞めた。祓う義理もない。)…………疲れた……(ため息とともに、無意識にそんな呟きがこぼれ落ちる。首元のネクタイを緩めて、頭をがしがしと掻く。髪も普通の仕事をするにあたって、短く切り揃えた。ピアスも外した。呪具も持っていない。今の自分はどこからどう見たって呪術や呪霊とは無縁の一般人だろう、そう思いながら、駅までの道を歩く。このまま電車に乗って、スーパーに寄って、適当に弁当でも買って――と考えただけで、うんざりした。いつまで経っても慣れる事のできない、やり甲斐も持てない仕事に疲れきってしまって、冷えた弁当を電子レンジで温める気力もない。家に帰る前に、どこかの店に入って食べていってしまおう。途中の道を曲がって、さてどこに入ろうかと考える。煙草が吸える所がいい。喫茶店でカレーを食べるか、スペインバルで少しお酒も飲むか、ああ、そこのイタリアンはたしか喫煙が可能だったはずだ。――立ち止まって考えていた男の鼻腔を、クレープ屋から漂う甘い香りがくすぐった。視線をそちらに向ければ、メニューにチーズケーキのものがあるのが目に入り、いつかの事を思い出す。もう二年近く、彼女とは会ってもいなければ連絡もしていない、声も聞いていない。――さすがに晩飯にクレープはナシだ。自然と苦笑が浮かんだ。)

梵一期 ♦ 2021/02/08(Mon) 23:48[85]

(いうなればこれは、神の悪戯なのでしょう。――大学最初のハロウィンは渋谷で楽しもう、そう提案したのは高校三年間を、そして進学後も共に過ごす友人だった。厳しい門限を言い渡されたけれど、過保護な父が許可を出したのは奇跡に等しい。大学受験を決めた一昨年、長らく明るかった髪は元の黒髪に戻す他なかった。印象が少しでも良くなるよう、長さも鎖骨を覆う程度に切れば、もうアリアナ・グランデよりはジェシー・Jだと気に入って、以来そうしている。仮装を詰め込んだショッパーを下げて、渋谷に向かう電車の窓から差す西日に双眸を細める。ひとりになると、不意に二年前まですぐ傍にあったぬくもりを思い出して、胸の奥が切なくなる。既読の付かないトーク画面はもはや一期の日記帳だ。背景に設定したプリクラを見るたび、無性に寂しくてたまらなくなる。一日の終わりに一度、いつか目に触れるかもしれないと信じて文字を打ち込むのは、返事のない手紙を綴り続けた日々によく似ていた。緑の通知を告げるバイブに期待を寄せてしまうのも、やめられそうにない。「人多すぎて渋谷で着替えるのはむり! どっかで降りて着てきて」ほら残念、友人からのメッセージだ。スタンプひとつを残して降りた新宿駅。トイレはここでも混雑を極め、仕方無しに改札を潜り抜けた。買い物もしないのに店舗のトイレを借りるのも気が引けて、右往左往するさなかのことだった。突如行き交う人々が姿を消してしまったみたいに、ただひとりを除いてこの瞳に映らない。幾ら姿が変わろうとも、見紛うはずのない人。)……っ、……アトジ、くんっ……!!(年齢が追いついた顔ばせはすっかり薄化粧。黒いレースのタイトワンピースとライダースは、まだ少し背伸びをしているかもしれないけれど。伸ばした手のひらはぎゅっと彼の上衣を握り締めようか。いつかのように。赤い輝きはなおも手首を彩っている。――どこにも、行かせない。)

阿閉託夢 ♦ 2021/02/09(Tue) 02:16[86]

(最後に彼女に送ったメッセージは、「今度の任務は北陸です。行ってきます」というものだった。県名を濁したのは、いつかそこが故郷だと彼女に言った記憶があるから。なんとなく、言いたくなかった。それが呪術師を辞めるきっかけになる任務だとは、自分とて思いもしなかった。その後、何の連絡もなくメッセージアプリ自体を削除した。生死くらいは告げるべきだろうか、呪術師は辞めたけれど普通に生きてはいると伝えるべきだろうかと、何度も悩んだ。けれど、アプリを再インストールする事はなかった。死んだと思ってくれた方がいい、それが結論だった。――あれから、サングラスの紅を通しているのに、まるで灰色の世界を生きているようだった。)……すみません、(すれ違った女性にぶつかりそうになって頭を下げ、その服装を見て、今日はハロウィンかと気づく。自分には関係ないイベントだ。――酒が飲みたい気分だけれど、若者で賑わう居酒屋にひとりで入るのは気が引ける。馴染みのスペインバルにしよう、そう思って、足を踏み出しかけた時だった。)…………、……っ、(振り返った顔が平静だったのは、職場の人間かと思ったからだ。けれど、自分の名を呼んだその声の主を見て、サングラスの奥の目を見開いて、息をのんだ。――考えてもみろ、職場の外でも声をかけられるような人間関係を、自分は築いていない。街中で声をかけてくるとしたら、呪術師か、家の者か、あるいは――)…………よ、く、……わかった、ね……(喋り方を忘れてしまったかのように、上手く言葉が紡げなかった。)……髪が……、……あれ、制服……もう大学生、だっけ……(今日は平日だったはず、と、上手く回るはずもない頭で考える。髪型も、服装も変わってしまったうえにサングラスなどかけている己に気づいてくれた事が、見つけてくれた事が、奇跡のように思われた。そんな奇跡、望んでいいはずもないのに。)

梵一期 ♦ 2021/02/09(Tue) 14:22[87]

(もしまた会えたときは。ぶつけたい感情も、掛けたい言葉も、何通りだって考えていたけれど、いざその状況に直面するとひとつとして当てはまることはなかった。なんで、どうして、聞きたいことは尽きぬほどあったけれど、震えるくちびるが何より伝えたいことはそれじゃあない。)……ずっと、会いたかった。(くしゃりと歪んだ笑みは、今にも泣き出しそうに情けないものだった。死んでしまったのではないかと思ったことだってあった。だって最後に残されたメッセージを思えば、なんら不自然ではなかったのだから。浅い呼吸を幾度か繰り返して、終わりに大きな深呼吸を落とす。)分かるよ。毎日、アトジくんのこと考えてたし。(直感的な、センサー染みたものだった。第六感ともいうのかもしれない。考えるより早く駆けて来たし、握ったままの手のひらも力強さを残していても、紅色が壁を作る瞳へ向けた顔貌は些か怯えを伴った。彼は会いたくなどなかったかもしれない。簡単に突っぱねられてしまうかもしれない。だけど、)ひどいよ……、高校の卒業式も、大学の入学式も、来てくれなかった。(いじけた声が核心に触れるのを恐れて逃げた。昔なら前置きすら必要とせず、正面切って問い質せていただろうに。互いに大人になってしまった所為だろうか。いいや、空いた時間の長さの所為だろう。)なにしてるの?(過去を暈して現在を問う。)一緒にいてもいい?(未来を晦まして今を繋ぎ止めることが精一杯だ。)

阿閉託夢 ♦ 2021/02/09(Tue) 22:48[88]

(スーツを掴むその手を振り払って、逃げ出してしまいたかった。けれど、できなかった。彼女が口にした言葉と、同じ事を思っていたから。――会いたかった、会いたかった、会いたかった。けれど、自分もだとは言えなかった。どうしていいのか、どう答えればいいのか、なにもわからなかった。)……ごめん。(ただ、謝る事しかできなかった。「……ごめん」、もう一度繰り返す。彼女の言葉に、ああ、と嘆息と共に声を漏らす。本当ならば、卒業式も、入学式も、大きな花束を持って駆けつけて、盛大に祝いたかった。)……ごめん。……行きたかったけど、行けなかった。……一期ちゃん、すっかり大人になって、綺麗になった。(片手でサングラスを外して、胸ポケットに引っ掛ける。あの頃よりも大人びた顔つきが、そこにはあって。けれど、気だるげで眠そうな雰囲気は今も変わらない。大通りを振り返って、服屋と電気屋が一緒になった、大きなビルを指さした。)……あそこでスマホ売ってる。この機種は前のモデルより画素数がどうとか、容量が段違いだとか、そーいう説明して、プランの案内して、契約書書いてもらって。……普通の仕事なら、なんでもよかったんだ。求人が出てて、応募したら採用されたから。……もう、呪術師はできないから。(彼女が望んだ答えはこんなものだっただろうか。だって、どう答えればいいかわからない。ただ、事実をありのままに言うしかなかった。――そして。続いた問いに、今の職場を指さしていた手は力なく下げられた。)――――…………(長い事、沈黙していた。彼女の瞳をまっすぐには見られなくて、自分の茶色い革靴を見下ろしていた。)……クレープでも食べる?……外じゃ寒いか。時間があるなら、どっか入ってもいいけど、…………今日、別れたら。そのあとは、もう、おれは死んだものだと思って。(視線を上げぬまま、そう答えた。)

梵一期 ♦ 2021/02/10(Wed) 00:37[89]

(どうしたって頭の中は何故で埋め尽くされてしまうけれど、どれも言葉として吐き出すのは困難だった。謝罪にだっていいよとも言えない。ただ黙って、しかし行きたい気持ちがあったのなら、それだけで救われる心地がした。何らかの事情があったのだと、己を納得させることが出来るから。手のひらの力が緩んで、だけど離すことはなく。しわになってしまったそこにほんの少しだけ、申し訳なくなった。)アトジくんは……、くたびれてるね。(ちいさな笑いを含ませた冗談はうまく言えていただろうか。面影を感じながらも、ひどく遠い人になってしまったと思わざるを得ない。近くにいれば、こうした変化に気づくこともなかっただろうに。ふと昔を振り返って、この頃は若いねなんて笑い合う日常が欲しかった。指されるままにビルを見やって、「そっか」なんて短い返事が落ちた。ここでも疑問は増えたけれど、踏み込めなかった。長い沈黙は実に居心地が悪い。撤回してしまおうかと、幾度となくくちびるが震えた。そうして一期が迷っている間に、破られた沈黙は求めた声ではなかったけれど、)クレープ……ううん、ちゃんと話したいから今はいい。(振った首がぴたりと止まる。続けられた言葉を、耳が拒否してくれたら良かったのに。)無理。そんなの、出来ないよ。……勝手だよ。(彼がどんな表情をしているかは窺い知れない。どんな気持ちで言ったのかも、汲み取れるわけがない。過日、否定した言葉を数年後しに肯定する。スッと裾から離した手は、そのまま彼の片手を攫うだろう。)やっぱり食べよう、クレープ。チーズケーキはまだ好き? ――………それで、ちゃんと教えてよ。

阿閉託夢 ♦ 2021/02/10(Wed) 19:21[90]

(彼女の言葉に、息を吐き出すと共にかすかに笑った。顔つきが大人になれど、その表情はきっと過日と変わらない。)実際、くたびれてるから。……服も、さいきん買ってないな。一期ちゃんはいまもおしゃれだ。(灰色の世界で生きている男の脳裏に、鮮やかに彩られた、彼女と過ごした日々がよみがえる。「……でも、このサングラスはブランドもの」と、胸ポケットを指して他愛ない事を言ったのは、あの日々に戻ったような錯覚を覚えてしまったからかもしれない。――彼女の言葉には、ただ、頷くしかなかった。)……うん、勝手。……一期ちゃんに出会わなければよかったのかな。一期ちゃんを助けられたことは後悔なんかしないし、……でも、そしたら努力して準一級になることもなくて、…………――――(言葉が途切れる。問いには頷いて、クレープ屋のワゴンの前へ行こう。重なった手を、振りほどけるはずもなかった。)チーズケーキのと、……一期ちゃんは、いちごチョコスペシャルでいい?(尋ねて、違う返答が返ってくるならばそれを注文して。できあがるのを待つあいだ、)……寒くない?(巻くのを忘れてカバンに突っ込んだままだったマフラーを取り出し、紺色のカシミアのそれを彼女の首にふわりとかけた。深く考えずにそうしてしまってから、気まずげな表情を浮かべて。)……ごめん、いらなかったら捨てていい……(クレープを受け取れば、ワゴンのそばに置かれたテーブルセットの椅子に腰を下ろそう。あの頃とは何もかもが変わってしまったけれど、あの頃を思い出さずにはいられなかった。だからこそ、表情は暗かった。)……なにが聞きたい? ……聞かないほうがいいこともある。……いますぐそのクレープ置いて、ここから離れて、おれのことは忘れたほうがいい、……と、おれは思う。

梵一期 ♦ 2021/02/10(Wed) 23:42[91]

(懐かしさに双眸を細めて、ほんのりとやわいだ空気に密かに安堵した。こうして軽口を叩いて昔の調子を取り戻すのかもしれない、もっとシンプルな再会だったなら。初めて彼と出掛けた日を、ファッションのこだわりを、頭の中で映像が流れるように思い出して。僅かに滲んだ笑みはしかし、長続きはしなかった。まるで頭をぶん殴られたみたいだ。出会いの否定は己自身に対する否定でもあると捉えてしまうのは突飛すぎるだろうか。険しく刻んだ眉間のしわだけが、明け透けに機嫌の居所を知らせていた。)……うん。覚えてたんだ。出会わなきゃよかったとか、思ってるくせに。(ちくり。刺した声は齢十九にもなって幼稚だ。くちびるを尖らせずとも拗ねた態度であることはきっと明らか。巻かれたマフラーに口許を隠したところで、へそ曲がりにまで蓋を出来るはずもなかった。)捨てるわけないじゃん!(卑屈めいたところ、変わっていないどころかこれじゃあ悪化している。そうして、懐かしい味を一口頬張って考えていた。消息を絶った北陸の任務で恐らく、呪術師を続けられなくなった何かがあったのだろう。準一級になったことを悔いるような素振りも、そうすれば繋がる。――思い浮かぶ最悪の想定は、実に気掛かりであったけれど、あまりにむごくて触れるのは憚られた。一口の歯型がついたクレープを見つめたまま、生じた沈黙は決して短いとはいえなかっただろう。)………聞かないほうがよかったかも、アトジくんを忘れるかも、あたしが決めることでしょ。北陸に任務に行ったとき、………(地元の話題を出して、取り乱した彼の姿がリフレインする。遠慮がちに向けた視線は、一度手元のクレープを経由して、再び彼を捉えた。)家族に会った?

阿閉託夢 ♦ 2021/02/11(Thu) 04:37[92]

……一期ちゃんを助けるのが、おれじゃなくて、もっとちゃんとした、マトモなヤツだったらよかったって、思ってる。(それは、出会わなければよかった、の言い換え。彼女を助けたのが自分でなかったなら、こんなふうに傷つけてしまう事もなかった。「男のマフラーなんかくさいかと思って」と苦笑する。心根の変わらない彼女に、胸が締めつけられた。)……一期ちゃんは大人だな。あのころも……いや、あのころよりも。おれの方が年上なのにね。(言って、クレープを一口かじった。懐かしい味が口に広がる。膝に置いたカバンから、手帳とペンを取り出す。罫線だけのページを開き、何かを書き始めた。)――高専の、五条先生って覚えてる? 五条先生の同級生にさ、特級呪術師から特級呪詛師になっちゃったひとがいるんだ。呪力を持たない一般人を、百人以上殺して。そのひとは去年、ここ新宿と京都に呪霊テロを仕掛けたんだけど、結果は負け。おかげでいまも日本は平和。――呪力を使うと、残穢っていう痕跡みたいなものが残るんだけど。その特級呪詛師は、一般人を大量虐殺したとき、残穢を残したままだった。なんでだろうね。宣戦布告みたいなものだったのかな。――おれは残さなかった。残穢も、物的証拠も、全部消してきた。でも、五条先生は気づいてるかもしれないな。(言い終えると同時、走らせていたペンを止めて置いた。手帳を持って、彼女の方へ向ける。そこには、人名が十六、並んでいる。男性名も女性名もあるが、苗字はすべて、“阿閉”だった。)一族郎党、皆殺しにした。……ああ、“皆”じゃないな。阿閉の血を引いてても、呪力を持ってないヤツは殺さなかった。(話し始めてしまえば、詰まる事もなく、事実を端的に語る言葉はすらすらと紡がれた。心もまた、落ち着いていた。手帳をテーブルの上に置いて、この説明で伝わっただろうかと考え、)――二年前の、富山の任務。内容は、連続怪死事件の調査と解決。裏で、阿閉家が糸を引いてた。だから、殺した。(そう付け足して、またクレープを一口かじった。)

梵一期 ♦ 2021/02/11(Thu) 19:37[93]

(クレープに両の手を添えたまま、始めの一口以来食べ進めることはなかった。静かに、話へ耳を傾ける。進めば進むほど、比例するように心臓が大きく脈打ってゆくのは、本能的に聞くことを拒んでいるようでもあった。けれど、聞きたい、聞かなくてはならない。置かれた手帳に連なる名前から瞳を離せないまま、彼が話を終えると沈黙が訪れる。頭の中で、明るく笑う男が“呪術師なんかならなきゃよかった。”という。そして“好きでいてね。”とも。驚かなかったわけもないが、どこかで腑に落ちたと感じる己もいた。彼が手帳を仕舞うまでは、文字の羅列をぼんやりと見つめていただろう。ただ瞳に反射しているだけ、ひとつとして脳に刻む余裕はない。)………後悔、してる?(悪人だとしても人を殺めたこと、呪術師を辞めたこと、離れ離れだった日々のこと。淡々とした様子から、そうとは感じていなかったけれど、聞かずにはいられなかった。伸ばした手のひらが、彼のそれへ重なることは叶うだろうか。)聞かなきゃよかったとは思ってない。アトジくんのしたことの善悪は難しいし、あたしが決めることでもないんだと思う。でも、呪詛師にはならなかったんだね。(ぬくもりを包んでいられたなら、ぎゅっと力を込めよう。叶わずとも、なにも握らない手が拳を作ったろう。)あたしは昔からアトジくんが好きだし、今の話しを聞いてもそれは変わらないよ。またうちに帰ってきて欲しい。なにも言わないでいなくなったのは、後ろめたかったから?(ひとりでいたいのかもしれない。家族というものに嫌気が差したのかもしれない。聞き届けられない願いだろうと踏んでも、言葉を口にしてしまうのは、あの夜から染み付いたさがのようなものだ。)

阿閉託夢 ♦ 2021/02/12(Fri) 18:21[94]

――阿閉家は、代々続く呪詛師の家だ。でもおれは、金もらってひとを呪い殺すなんてまっぴらごめんだった。だから、五条先生に、高専に入れてくれって頼んだ。五条先生の庇護下なら、あいつらも手は出せないから。(あの頃、言おうとしても言えなかった事を、こんな形で吐露する事になるとは思っていなかった。あの頃に言えていたのなら、また違った未来があっただろうか。)……ヒーローみたいになりたかった。……でも、それとおんなじくらい、あの家をぶっ壊して――根絶やしにしてやりたかった。……すっきりした。これで、もうおれと血のつながった人間がひとを殺すことはないから。でも――……(暫しの間の後、「……後悔もしてる」、小さな声で、呟いた。二年経った今でも、思考はまとまらず結論を出す事はできないでいる。事実から逃れるようにクレープを口に入れて咀嚼していると、手に彼女の温度を感じて。視線はもう片方の手に持った食べかけのクレープに向けたまま、無理やりに口角を上げた。)……一般人を殺したら、“呪詛師”に認定される。おれが殺したのは全員呪詛師だから、その意味では呪詛師ではない、……でも、人殺しだ。(呪術師にとって、呪詛師は倒すべき敵だ。あの任務の黒幕が阿閉家だったから、対処したまでの事。自分は違う、呪詛師ではない、間違った事はしていない。何度も自分に言い聞かせた。けれど、やはり自分は人殺しの呪詛師の血が流れているのだと。ヒーローにはなれないのだと。そう思ったから、呪術師を辞めた。)呪詛師の血を引く人殺しなんかと一緒にいたら、よくないことが起こるに決まってる。それに、親族を皆殺しにしてきたなんて、それですっきりしたなんて、言えなかった。……せめて、(せめて、あの富山の任務が、自分ではなくほかの術師に割り振られていたら。そんなIFを妄想しても、何もかもが手遅れだ。だから、言葉にはせずに、かぶり振った。)――……大学、どこ行ってるの。学部は? サークルは入った? バイトもしてる? お父さんは元気?(もう会わないのだからという言い訳を心の中でしながら、近況を尋ねる。それと同時、ポケットの中でスマートフォンが震えた。取り出して画面を見れば、)……死刑宣告かな。(馴染みの補助監督の番号が、そこに表示されていた。彼女のものも、高専関係者のものも、連絡先はすべて消去したけれど。何度も連絡を取り合っていたその番号は、目が覚えていた。二年前の大量殺人を今になって咎められるのだろうかと、ぼんやり考えていた。)

梵一期 ♦ 2021/02/12(Fri) 20:15[95]

(人殺しを殺めた人は、果たして罪人なのだろうか。結果として彼は多くの人を救ったのかもしれない。この先、被害に合ったであろう人たちを。しかし、だからといって命に手を掛けた事実を正当化してよいものだとも思えなかった。神妙な面持ちで、今や遠い記憶となったXでの日々を、惨劇の日を思う。失われるはずだった命が繋がれた一方で、散ってしまった命も数多とあった。その尊さを、身を以て知っているつもりだ。だから、抱えた後悔に安堵する己もいた。)アトジくんは正しいことをしたよ。でも、ひとの道からは外れちゃったのかも。相手がわるいひとでも、そうするしかなかったんだとしても、アトジくんはこのことと向き合って自分で折り合いをつけていかないとだ。一生掛かっちゃうとしても。……だけどさ、生まれる家も任務も自分じゃ選べないのに、ひとりで頑張らなきゃいけないのは理不尽だなとも思うよ。(自嘲めいた笑みに向けるのは反してやわいそれだ。)聞いて後悔してないけど、あたしは聞かなかったことにする。(あまりに虫のいいことだとしても。半分肩代わりしてやることが出来ればどんなに良かっただろう。残念だが、許せることでもその立場にもない。ただ、彼が求めていないとしても、一息つける場所になることが出来れば、それだけだ。)よくないことって? 具体的にはあるの? ……あのね、アトジくん。人殺しになっても、アトジくんがあたしを救ってくれたことは変わらないんだよ。アトジくんが“最低最悪なゴミ以下のヤツ”になったとしてもあたしとパパにとってはヒーローであり続けるの。それは忘れないで。(抽象的に決めつけられて不満が顕になる。具体例を問う声は屁理屈をこねる子どものそれとよく似ていただろう。そして、彼が親族を殺めたことで過去の栄誉が塗り潰されるようなこともないのだと、知っていて欲しい。強い語気と共に彼へ向けた視線もまた力強く、なにかを言い淀む姿を射抜いていた。)知りたかったら自分の目で確かめに来て。あたしはずっと、待ってるから。(意地悪だと、ひねくれていると一期自身が一番感じていた。それでも彼を繋ぎ止める可能性がゼロでないのなら、幾らでも蓋をし続けてやろうと仄かに笑んだ頬は、しかし零れ落ちた言葉にスッと色を失うこととなろう。訝しんで顰めた顔ばせが問う。)なに?

阿閉託夢 ♦ 2021/02/12(Fri) 23:54[96]

……はは、どっち? ……どっちもか。(人の道から外れた事をして、けれどそうなってしまったのは理不尽で。彼女の言うように、折り合いをつけていかなければならないのだろう。あと何年経てば折り合いがつくのか、死ぬまでにどうにかなるとはとても思えなかった。)……術師やめるとき、「疲れたから」って言ったんだ。それも、嘘じゃない。……イクスから一期ちゃんを助けたときみたいに、ありがとうって言ってもらえて、自分は人助けをしたんだって思える任務なんかほとんどなくて。怪我が増えるばっかで、人助けをしたなんて実感はなくて。なんのために呪術師やってんだろう、善人か悪人かもわかんない名前も知らないヤツを助けて感謝もされないなら、確実に悪人だとわかってるヤツらを殺す方がずっといいことなんじゃないかって、…………これも、聞かなかったことにしてくれる?(吐き出したいだけ吐き出して、聞かなかった事にしてくれなんて、虫が良すぎる事は自分でもわかっている。「軽蔑してくれていいよ」と付け足す事すら、自己満足だ。)……呪霊は、目が合っただけで襲ってきたりするし……? ――――…………、(彼女の言葉に、動きが止まる。時間も、止まってしまったようだった。彼女とふたりで出かけた場所、彼女の父と三人で話した梵家の部屋、あたたかい幸いに満ちた空気、それらがかけらのように浮かんできらきら光ってははじけてゆく。)…………、大学って、授業参観はあったっけ。(あのあたたかな場所へ戻りたい。湧いた願望を、そんな言葉でごまかした。震えたスマートフォンをテーブルに置くと、)――高専時代からお世話になってた補助監督から電話。(言って、クレープを一口。その一口を食べ終えるまで電話が切れなかったら、電話に出るつもりだった。――ごくん。呑み込んで、卓上のスマホをタップする。彼女にも聞こえるよう、スピーカー状態にして。)はい、呪詛師殺しの元呪術師、あとじです。処刑宣告ですか。(そんなふざけた応答はスルーされ、「阿閉くん、今どこにいますか!?」と、切羽詰まった声が聞こえる。)……お久しぶりです。いま新宿にいますけど……なにがどうしたんですか。(それに対する返答――現在渋谷で起きている異変の説明は、彼女にも聞こえるだろう。)

梵一期 ♦ 2021/02/13(Sat) 19:27[97]

(音もなく首肯した。向き合わなければならないけれど、そうし続けるのは行き過ぎだ。折り合いをつけられずに人生を終えてしまうのも仕方のないこと、それまでずっと根を詰め続ける必要だってない。そんな猶予があって良いはずだ。続く物騒な発想にも苦笑が浮かぶけれど、彼が望むのなら「いいよ」。いざ実行に移す姿を前にすれば止める他ないのだけれど、目の届かないところで起こることは関与のしようもない。なにより思想は自由だ。だから軽蔑もしない、同意は出来ないが。予防線のように敷かれた言葉にも「されたいの?」と僅かにおどけた声が返すだけだ。)襲われてもアトジくんが祓ってくれる。はい、他には?(傾げた首をそのままに、生まれた沈黙にきょとんと疑問符が浮く。静止した彼へ向けた眼差しは見守っているようでもあっただろう。彼の心を揺さぶることが出来たのかもしれない、抱いた期待は落とされた言葉に綻んだ頬へと繋がった。やわい笑声を伴って。)ないよ。だから帰ってくるしかないの。梵の人間はなにがあってもアトジくんを拒まないんだよ。(梵託夢になっちゃえばいいのに。チーズケーキを前に溢した頃と同じフラットな願望が湧き上がる。けれど簡単に口に出来ないのはもう子どもではないからだ。すっかり溶けたクリームを包んだクレープを漸くもう一口。彼の態度を咎めんとする視線を向けるまでは、まだ穏やかさを取り戻しつつある心でいられた。事の次第を知れば簡単に四散してしまう。――渋谷には今、友人がいるのだ。血の気の引いた顔ばせでメッセージを打ち込んで、通話も試みる姿は焦燥の一言で足るだろう。混乱の所為か、遮るなにかがあるのかは知れない。ただ繋がらない事実だけが、一期を不安にさせた。)……どうしよ、いま、友だちが渋谷に。(震える声がそう告げると。はくはくと短い呼吸を繰り返す。乱れる頭の中で、必死に考えていた。渋谷で起こっていること、そして眼前にいる彼のこと。)アトジくん。あたしの友だちも、渋谷にいるひとたちも、ひとりでも多く救って。(懇願。力加減を失った手のひらがクレープを押し潰して、ぼたぼたとクリームが零れ落ちた。)

阿閉託夢 ♦ 2021/02/14(Sun) 06:06[98]

――聞かなかったことにしてもらって、昔みたいに優しくしてもらうのと、……ちゃんと覚えててもらって、軽蔑してもらうのと、……どっちも甘えな気がする。……それも、自分で折り合いつけるしかないのか。(赦すとも赦さないとも言わない、彼女の実直な性格がかえってありがたかった。――そして。彼女と話しているうちに、いつの間にか思考が未来を向いている事に自分でも驚く。そんなもの、自分にはないと思っていたのに。)……梵パパにも会いたいな。いまの話したら、「そんなヤツを娘には近づけられない」って言われるかもしれないけど。梵ママのお墓参りにも行って……(あのあたたかい場所へ戻りたいと、彼女のそばにいたいと願ってしまう。虫が良すぎるとわかっているのに、願望は口からこぼれ落ちていた。久しぶりに会う彼女の父親への手土産は何にしよう。それよりもまず、彼女に黙って連絡を絶ったお詫びをしなくては。楽な方に流れてはいけないと思っていながら、頭が勝手に考え始めてしまう。――けれど。スマートフォンから聞こえる補助監督の焦った声を聞けば、表情は強張った。)……「五条悟を連れてこい」?……一般人を人質にして、五条先生を潰すつもりなのか。……最近の動向は知ってます。例の未登録の特級呪霊も、たぶん関わってるでしょ。……呪詛師も、めぼしいヤツらのことなら大体知ってます。術師とも呪詛師とも、完全に連絡絶ってなかったですから。こっちの位置情報送るから、クルマ回してください。それと、高専から「叡傑」と「蠱惑」を――はは、準備いいですね。……じゃ、待ってます。法定速度、守らなくていいですよ。(通話を終え、SMSで位置情報を送る。頭の中でさまざまな予想を立てるが、どれも現地に行かなければ確かめられない。――そう、行ってみない事には、何も。)……一期ちゃん、(彼女の片手をとって、強く握った。)友達の写真、見せて。あと名前も教えて。――ハロウィンの渋谷に、一般人だけを閉じ込める巨大な“帳”……たぶん、簡単に片づくような事態じゃないと思う。全員は助けられないかもしれない。でも、一期ちゃんの友達と、できるだけ多くのひと、助けてくる。――大丈夫。待ってて。

梵一期 ♦ 2021/02/14(Sun) 20:33[99]

(甘えてくれたっていいのに。己に厳しくしたがるのは呵責の所為か。下げた眦がそれに対してもただ、うん、と頷く。見守るスタンスを取るくせ、離れてゆくのは嫌がるのだから一期のほうが余程わがままで甘えているのかもしれない。父に対する最もな意見が耳に刺さると、いたずらに笑って)パパには内緒にしとこうよ。自分探しの旅に出てたって言ったら信じてくれるよ。(くちびるの前で食指を立てるくらいなのだから。父もまた彼を軽蔑することはないだろう。しかし受け入れるかは別問題だ。一期が寄り添うのなら、あえて鞭を振るう立場を取るかもしれない。もしかすれば、眠る母だけが彼を理解するに足る人物やも。――やり直そう。何度だって。チャンスはひとしく、だれに対しても与えられるものだから。仄白く霞んでいく頭の中が、強く握られた手のひらのお陰で晴れてゆくようだった。事態は最悪を極めているけれど、視点を変えればこれもある種チャンスなのかもしれない。震えるくちびるを噛んで、不安に揺らぐ瞳を落ち着かせる。それだけではパニックから抜け出すのは不十分でも、多少思考を纏めるには貢献してくれるから。スマホに表示させた写真には一期の他に女子がふたり。彼へ見せる同時に名も告げただろう。どちらがどちらであるかは、重要ではないはずだ。)……うん、ありがと。お願い。――……また、術式をつかう?(か細く問う声の裏で、血に飢えた獣が如く敵に立ち向かう姿がよぎる。根源であるそれを倒すのは確かに重要なことだけれど、すぐ傍にある救える命を見過ごしてしまうことを、それを後悔してしまうことを恐れた。過日もらったブレスレットを外して、彼の左手首へ巻きつけよう。サイズが合わず不格好だとしても。)あたしの友だちと、多くのひとを助けて、アトジくんも生きて帰ってくる。約束して。これを預けたら忘れないでいてくれるかな、あのオラオラ系アトジくんも。(向ける眼差しから不安は拭い去れない。それでも希う声は力強かった。)今でもヒーローになりたい? なれるよ。今日がその、チャンス。少なくともあたしと、友だちふたりからは「ありがとう」とも言ってもらえるよ。

阿閉託夢 ♦ 2021/02/15(Mon) 18:39[100]

それはそれで良心の呵責が……でも、一期ちゃんとだけのひみつっていうのも、悪くないか。呪術師なんて、一生自分探ししてるような職業だし。(折り合いをつけるのも、今後の身の振り方を決めるのも、まだ時間がかかりそうで。けれど、軽い声音で言って小さく笑えるようになるくらい、胸のつかえが取れた事は紛れもない事実だった。彼女にここで会えたから。話せたから。罪を背負ってひとりで生きてゆくべきなのではないかという思いは消えないけれど。ただ、彼女に会えた事は嬉しかった。――スマホに表示された写真を見て名前を聞けば、しっかりと頷こう。)うん、覚えた。――術式使わないと、おれなんかザコだからね。それに、掠気呪法は呪霊より人間を相手にしたときに真価を発揮する術式だ。“帳”を降ろしてる呪詛師を叩くのに、おれは適任。――……、(術式を使えば使うほど、思考と性格は敵意と殺意に絡めとられる。それでも、無根拠に大丈夫だと言おうとした矢先、手首にブレスレットが巻かれた。右手でそれを撫でて、昔日と変わらない、かすかで、けれど柔い笑みを浮かべた。)うん、大丈夫。おれもあの頃よりは成長してるし。一期ちゃんのために、がんばってくる。……これ、一期ちゃんへのプレゼントだし。帰ってきて、返さないと。(強がりでも、無根拠な言葉でもなく。己から彼女に贈って、そしてずっと身につけていてくれたこのブレスレットがあれば、大丈夫な気がした。――きっと、これも一種の“呪い”だ。)……っふ、オラオラ系って。……虫が良いとは思うし、これで帳消しになるなんて思ってはいないし、いまさらヒーローになんてなれないと思うけど。でも、運命ってやつなのかな。おれに課された禊だと思って、やってくる。呪霊と呪詛師ぶっ倒して、一期ちゃんの友達と、たくさんのひとを助けてくる。そしたら――……(これを禊だと考えるのも、きっと虫が良い事だ。でも、こんなにお誂え向きのタイミングはないように思われた。カバンからウェットティッシュを出して彼女に差し出した時、車道に懐かしい車が停まるのが見えて、「来たね」と立ち上がった。)……これ、一期ちゃんちに持ってってくれる? 終わったら、取りに帰る。(そういって、スーツの背広を脱いで、通勤カバンと共に彼女に押しつけた。車の方へ向かいかけたが、「あ、」と声を漏らして。スラックスのポケットから出したのは、古びた小さなお守り。それを、彼女に差し出そう。)渋谷が中心なら、離れてれば大丈夫だと思うけど……もし危なくなったら、そのお守りの中に入ってる紙を千切って。それで、一期ちゃんを中心に、呪霊の侵入を防ぐ“帳”が降りる。スマホの電波も遮断されるから、注意して。(言いながら、ワイシャツの袖をめくって。「ちょっと寒いね」なんて笑った。)――じゃあ、行ってきます。

梵一期 ♦ 2021/02/15(Mon) 23:20[101]

ひとりが知ってれば十分なんだよ、きっと。(聞かなかったことにはするけれど、忘れるわけじゃあない。少しでも荷を軽くする存在であろうと一期が望んだとて、これは事実を知り真実を見る目だ。傍らの観察者は、感じ方ひとつで咎にも許しにも成り得る。それも一纏めに甘えだというのなら、“特別”に位置づけられてしまった以上甘んじて受け入れてもらう他ないだろう。彼がなにをして、なにを考え、なにを選ぼうとも、見放さない。家族とは、そういうものであるべきだ。だから戦場へ赴く彼のことも信じている。同じようにくちびるが弧を描いて、和やかに送り出そうと心を奮い立たせた。大丈夫と言ってくれたから、だいじょうぶだ。)そうだよ。ちゃんと返してくれなきゃ悲しくて毎日わんわん泣いちゃうから。これがあってもアトジくんがいなくてさみしかったんだから、埋め合わせるためにもぜったい、生きて帰ってきてね。あたしより先に死なない約束、まだ有効だから!(強がって荒げた語気が無理ゲーと言わしめた約束を掘り返す。――帳消しにしちゃおうよ、甘い囁きは彼が帰って来て功績を語るようねだるときまでとっておこう。)……そしたら? なに?(受け取ったティッシュで潰れたクレープが散るテーブルを拭う前に、去ってしまう背に問うたけれど、返って来たのは答えでなく背広と鞄だったか。呆然は刹那の瞬き。大きな首肯はきれいな三日月がみっつ。こんなときに、満面の笑みを引き出してくれるのは生涯で阿閉託夢ただひとりだけだ。)うん! 待ってる!! いってらっしゃい、アトジくん。(受け取ったお守りを大事に大事にぎゅっと握り締めて、去ってゆく車が見えなくなるまで見送っていた。)

(念には念をというけれど、帰路は少し遠回りをし過ぎたかもしれない。すっかり宵闇に溶けた道を足早に駆けてゆく。預かった背広と鞄を抱きかかえる腕には、ビニル袋がぶら下がって、足取りに合わせてシャカシャカ音を立てていた。寄り道をしている場合でもなかったが、彼を待つ上で欠かせないものがあったから。――バスクチーズケーキ。長いこと暇を与えていたオーブンが腰を上げるときだ。穏やかでない足音が帰宅を告げると、不思議そうに瞳を瞬かせた父が出迎える。)アトジくんが、帰ってくるよ!(こんがり焼けたケーキはもういつ振りか思い出すのも困難だが、腕前は上がっている気がしてならない。テーブルの上で寝転んだお守りをつついて、チャイムが鳴るのを待っていた。彼に預けたブレスレットのように、年季の入ったこれもきっと返さなければならないものだ。今夜中には無理かもしれない。明日か、明後日か、もっとだろうか。いつになろうとも、ただ彼を迎えるときを待ち望んでいる。)

阿閉託夢〆 ♦ 2021/02/17(Wed) 00:49[102]

……一期ちゃんと出逢えて、よかった。一期ちゃんを助けられて、よかった。……ありがとう。おれはきみから、たくさんの……いや、数えきれないくらいのものを、もらった。(その言葉は、思考を巡らさずとも、自然と口からこぼれ落ちた。――きっと、彼女にとっては突然の事だっただろう。両手を伸ばして、厭われなければ、彼女を抱き寄せて。強く強く、痛いと言われても気にしないくらいに、彼女を抱きしめた。ありがとう。大好きだ。ずっと幸せに。言葉では表しきれないたくさんの想いは、術式を使えば伝えられない事もないのだけれど。そんな野暮な事は、やめておこう。帰ってきたら、自らの言葉で、声で、伝えよう。預かってもらってた背広とカバンを受け取りにきたよ、と、なんでもないようなふりをして、梵家に帰ろう。“そしたら”の続きは、荷物を預けただけで十分伝わったかもしれないけれど、)……「おかえり」って言って。(少しだけ、甘えてしまおう。これも一種の“縛り”、そして呪いだ。彼女のもとへ帰る事。梵家に「ただいま」と言って戻る事。それを、自分に課した。そして、そっと、抱きしめていた両腕を離す。)――あと……また、買い物行こう。お互いの服選んで、プリクラ撮って、UFOキャッチャーしよう。ジェットコースター乗って、クレープ食べて、海にも行って、プールも行って、ああ、海外にも行きたいな。おれ、行ったことない。一期ちゃんのキャンパス見学に行って、友達ちゃんと紹介してもらって……(ひとつだけのつもりが、言い始めてしまえばきりがなかった。彼女のもとに帰りたい。一緒にしたい事が、まだまだあった。叶うなら、未来を共に過ごしたい。願望を言い出したら、いつまでも出発できなさそうだから。笑って、敬礼の真似事をした。)……とりあえず、ちゃちゃっと片づけてくる。待ってて。(笑顔で、大きく手を振って、車に乗り込んだ。ドアを閉じて、車が走り出しても。見えなくなるまで、手を振り続けていた。)

……あ、「叡傑」と「蠱惑」、持ってきてもらったのはいいけど、術式用の呪具がない……(そうぼやくと、運転する補助監督から「用意しておきました」と、針状の呪具が大量に入ったベルトポーチを渡され、大いに笑った。)準備よすぎじゃないですか。――高専の制服って、スタンダードなデザインだと、ななめボタンになってるじゃないですか。でもおれは、術式使うのにコレをすぐ出せるようにしておく必要があったから、前開きにするしかなくて。おれも、みんなとお揃いのななめボタンがいいなって、あのころ、思ってたんですよね。

(19:32:渋谷、文化村通りに到着。五条悟が到着するまで“帳”の外側で待機という指示を無視し、一般人を閉じ込める“帳”の中へ。梵一期の友人、二人を発見。二人を中心に、呪霊の侵入を防ぐ半径10メートルの嘱託式の“帳”を降ろす。)
――きみたちを、助けにきたよ。できるだけ大勢のひとを助けるつもりだけど、まずは、きみたちふたり。おれの大切なひとの、大切なひとだから。すぐここから出られるようにするから、待ってて。ぜったいに、助けるから。大丈夫。

(20:55:東京メトロ副都心線明治神宮前駅2番出口近く。冥冥1級術師、その弟・憂憂、高専1年・虎杖悠仁と合流。副都心線ホームを中心に張られた、術師の侵入を阻む“帳”を上げるため、呪詛師と戦闘。祓除後、五条悟の封印、そして地下5階から動かせない事を知る。)
――五条先生がいなくなったら、おれなんか即死刑じゃん。おれが招集されたのも、総監部の思惑? ……まあ、そんなことより、先生がいなくなったら日本が終わるか。先生、ぜったい助けるよ。だって、先生はおれを助けてくれたから。……虎杖くん、きみもそうでしょ?

(21:27:七海1級術師、猪野2級術師、高専1年・伏黒恵と合流。七海、猪野・伏黒・虎杖組とはそれぞれ別れ、以降、単独行動。術師の侵入を妨害する“帳”を降ろしていると思われる、呪詛師と戦闘。祓除。)
――ッハハハ!!ザコ呪詛師がオレに勝てると思ってんじゃねぇぞ!!オレは呪詛師の名家、“阿閉”の血を引いてんだよ!!こちとら平安から呪詛師の血が流れてんだ、五条先生が封印されたからって調子に乗ってるようなザコが敵うと思うんじゃねぇぞ!!格の違いを思い知らせてやる!!さっさと無様に死ね!!

(22:10:渋谷駅中心地へ。改造人間を祓除しつつ、己の降ろした“帳”を目印に、梵一期の友人二人を発見。一時、渋谷を離脱し、二人を安全な場所まで運ぶ。すぐに渋谷へと舞い戻り、改造人間の祓除に取りかかる。同時に、術式を駆使して無事な一般人を操り、渋谷から離れさせる。)
――あー……こういう使い方すると、不安とか恐怖がオレに入ってくんのか……えぐ……いや、コレをその辺の呪霊に注入すればいいんじゃん。オレ天才!!ッハハ!!

(22:31:渋谷駅構内にて、未登録特級呪霊・漏瑚と接触。右半身に大火傷を負い、右腕、右足が使い物にならなくなる。)

(23:10:宿儺による領域展開の効果範囲は逃れる。)

(23:15:未登録の特級呪霊と遭遇。戦闘。)
――おれはさ、呪詛師の血が流れてるから。領域展開はできないんだ。……いや、もっともっと、死ぬほど努力すれば使えるようになれたのかな。でも、呪詛師って、呪霊を相手にするんじゃなくて、人間を殺す職業だから。領域なんか必要ないでしょ。……それに、術式も弱い。阿閉家相伝の術式、掠気呪法は、基本の使い方は相手の敵意や殺意を奪い取って、自分を鼓舞する。対呪霊じゃない、対人間に特化した術式。だから、高専に入って、おれはがんばったよ。身体能力も鍛えた、呪力を使った肉体強化も覚えた。でも、限界っていうのはあってさ。――だから、おれは自分に“縛り”をかけた。永遠に、罪の意識に苛まれ続けること。苦しみ続けること。決して解放はされないこと。あの子がさ、どんなに優しい言葉をかけてくれても、この“縛り”からは逃れられないんだ。……なあ、でもさ。この“縛り”は、きっとこの時のために作ったんだ。できるだけ多くのひとを救うため。呪霊と呪詛師をぶっ殺すため。おまえを祓うため。――さあ、呪い合おうぜ。呪霊と呪詛師どもから掠めとった敵意と殺意と、一般人どもから抜いてやった不安と恐怖と――……それに、おまえの全部を奪ってやるよ。――掠気呪法、「偸盗戒」――……

(23:32:首都高速3号渋谷線・渋谷料金所。)
……すいま、せ、……「叡傑」も「蠱惑」も、どっ、か……置い、てき……、……あとで、……ちゃん、と……さが、す…………あの、……こ、れ、……あの、子、に、――……

(差し出したのは、ゴールドの細いチェーンに、ティアドロップ型のごく小さな三つのダイヤ、そしてそれより少し大きめの紅いルビーひとつが等間隔にぶら下がったブレスレット。家入硝子の反転術式は、間に合わなかった。倒れたその体は焼け爛れ、首筋には幾本もの呪具が刺さって、右腕は千切れ、体の至る所に深い傷を負い血が流れ内臓がはみ出し、原型を留めていなかった。)


(夢をみる。「――ただいま」、そう言って、きみの家に、きみのもとに帰る夢。おれはこんな姿になっちゃったけど、それでもきっと、きみは気づいてくれるだろう。そして、笑顔で迎えてくれるんだろう。友達、ちゃんと助けたよ。たくさんのひと、助けたよ。そう報告しよう。きみのお父さんにまず謝って。きみにさみしい思いをさせたぶん、ちゃんと自分を見つけてきましたって言って。それから、頭を下げようか。おれを、梵託夢にしてください、なんて。きみにも、お詫びとお礼をしないといけない。いったい、なにをプレゼントすれば、どれだけのものを贈れば、贖罪になるのだろう。ああ、あの日きみが作ってくれた、チーズケーキがまた食べたい。ごほうびに、焼いてくれる? おれ、がんばったんだ。こんなことで帳消しになるとは思っていないけど、全員は助けられなかったけど、五条先生も助けられなかったけど、でも、がんばったんだ。ねえ、ほめてくれる? おれを抱きしめてくれる? おれを、家族にしてくれる? ――でもね、なんにもしてくれなくてもいいんだ。きみに逢えただけで、おれは、幸せだった。ヒーローにはなれなくても、おれは、きみのおかげで、幸せだった。)

梵一期〆 ♦ 2021/02/18(Thu) 01:21[103]

火を、つけてちょうだい。(秋風に短な白髪がゆれる。ほのかに冷気をはらむ風さえ堪えるようになったのはいつからだったろう。全身に重りをつけたかのように、体躯は言うことを聞いてはくれない。ひとりでは立つことも、歩くこともできなくなってしまった。訳もなくふるえるか細い手の先で宿る光は、たったの一振りで刹那にして煙に姿を変え、天へ昇りゆく。古臭いかおりが好きではなかった。繊細な線もまた、か弱いくせ、すぐそこにあって欲しい者を連れてゆくようで、全く以て好きにはなれなかった。しかしこの一筋が、わたしとあなたを、あなたたちを繋ぐものなのだろうと、そう思えば嫌いにもなれなかった。それがいつの頃からかはもう、わすれてしまって思い返すことができない。しずかに合わせた瞼と手のひら。まなうらにえがくのはいつだって、あの頃のまま姿だ。齢十九の少女が、車椅子に腰を下ろす一期にオーバーラップする。)

(夢をみた。まっかに染まって、見るも無残な姿で、けれど確かにあたしの大好きなアトジくんが帰ってくる夢。流す涙は痛ましいからじゃなくて、帰ってきてくれたことへの安堵。大きく広げた腕いっぱいに抱きしめて、おかえり、ありがとう、お疲れ様、ってささやくの。たくさんがんばったね、って、髪を撫でてあげる。もう二度と離さないよ。どこにも行かせない。ずっといっしょにいようね。お詫びもお礼もいらないよ。その代わり、毎日いっしょに眠って、朝は目玉焼きを焼いて、おやつにチーズケーキを食べよう。そうだ、もう養子なんて年じゃないから、結婚しちゃおうよ。あたしに恋をしてなくてもいいよ。愛が分からないままでもいい。アトジくん、ううん、託夢が分からなくても、あたしが感じ取るからだいじょうぶ。ただそこにある幸せに浸って、笑っていて。―――あたたかな光に包まれたみたいに、心地よい夢だった。目覚めを告げるチャイムを鳴らしたのは、待ち望んだ阿閉託夢ではなかった。帰ってきたのは預けたはずのブレスレットだけ。それだけで、悟ってしまう頭が嫌だ。おかえりを乞うなら、それを聞く耳がなくちゃ。ただいまをくれるなら、それを紡ぐ口がなくちゃ。いやだ、いやだよこんなの。ちがう、ちがうのこんなのは。約束を反故にしないで。おねがい、あの夢が現実で、この現実がわるい夢だと――。)

(なつかしい記憶。色褪せることのない残酷なそれ。しわだらけの頬に、一筋の雫がつたった。――「ひいばあ! ちょりく、おあ、ちょりと!」黒い癖毛がくるりと跳ねて、こぼれそうな緋の瞳がまっすぐに見つめてくる。血の繋がりはないのに、顔立ちだって似ていないのに、だれかさんを彷彿とさせる少年だ。覚えたての言葉で、お菓子をねだる姿がひどく愛らしい曾孫。差し伸べられた手のひらに、ころりとキャンディをひとつぶ転がしてやると、大喜びで芝を駆けていった。――絶望の淵に立ちながらも、人並みの生活を送った。ひとりの男と出会った。恋をした。子どもを授かった。しかし、添い遂げたい相手ではなかった。空いた穴を、埋めたかっただけだった。眼前に佇む墓石の側面には、みっつの名と、ひとつの打ち消された名。梵託夢のとなりに引かれた線は、もうしばらく、はずれることはなさそうだ。次ぐ春に、梵一期は紀寿を迎える。)たくむ。つぎは、しあわせな家庭を、いっしょに。ね。(しゃがれた声が、あどけない少女のように紡ぐと、車椅子にくくりつけられたお守りを風がゆすった。これを彼が持っていたらと、戻れない過去へ想いを馳せる日は少なくない。一日として、彼を想わない日だって。されども、残された未来を見つめ、この生命を繋ぎ続けている。大病を患うこともなく、頭はクリアで、健やかなまま。父と母と、そして彼の加護なのだろう。骨と皮だけになった手首には今も、ふたりを繋ぐあかいきらめきが。夕暮れのオレンジを吸収して、にぶく反射した。まるで、一期のつぶやきに応えるかのように。梵託夢は一期が生きているかぎり、ここにいる。だから、この先も一期だけのヒーローと共に生命を繋ごう。歩むはずだった年月を代わり受けて。)

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