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(花に嵐)

立花蓮 ♦ 2021/02/12(Fri) 04:06[76]

(――2018年、10月31日。水曜日。世間はハロウィンだなんだとはしゃいでいるが男には関係ないつもりだった。いや、もしかして彼女は渋谷とか浦安とかに行きたかったのかもしれないけど。カボチャが安かったの!とはしゃぐ母を止められなかったのだ。)――いやマジ……静香さんにまで来てもらってごめん……。(週の中日とあって、普段スナックに勤める彼女の母も休みが取れるのではということに気付いた母のライン爆撃がすごかった。此処数年でなんかキャラが変わった気がする。親不孝者の一人息子より、息子の彼女のほうが可愛いのではないかと思うくらいだ。昼時から彼女とその母を迎えに行って、ど田舎の日本家屋まで運ばねばならぬ補助監督もそこそこ可哀想である。今夜は豪勢なカボチャ料理が食卓に並ぶだろう、母二人は今その仕込みで台所にいるはずだ。立花の母はそれなりに料理上手だが、そういえば静香さんはどうだったっけ。二人で涼む秋の縁側で、そんな話題を振ることもあったかもしれない。背丈の低い紅葉が、さわさわと風に揺れた。赤く色がつくのは、もう少し先。)保護期間はもうすぐ終わるけどさ、母さんあんなだし、たぶん静香さんとも歳近いし。これから先も、頼ってやってよ。(あくまで母のための提言というフリをして、未来の約束を取り付けたがる。ずっと一緒の”ずっと”を、少しずつ確かなものにしたがるように。今日もそんな、日常の一幕になるはずだった。時刻は日も暮れだした夕暮れ時。台所から、カボチャを煮た甘辛い匂いがする。)

治葛静音 ♦ 2021/02/12(Fri) 17:05[77]

(初めて彼の実家を訪れた際、立派な家屋と庭に目を回しそうになったことを覚えている。錦鯉の泳ぐ池を見ていよいよぶっ倒れそうにもなったけれど、今ではすっかり慣れてしまっているのは彼の母親の人柄もおおいにあったろう。今日もしかり。台所から聞こえてくるふたりぶんの声は楽し気で、秋の夕暮れを彩るそれに柔く双眸を緩めた。治葛の母が再び心折れることなく今日も笑って過ごせているのだって、彼と彼の母のおかげだ。)ぜーんぜん! お母さん、今日もすごく喜んでるもん。呼んでくれてありがとね。お力になれるかはわかりませんが……。今度蓮のお母さんに一緒に弟子人りしよっかな。 (んふふと笑って付け加えた。壊滅的とまではいかずとも、料理の腕は揃っていまいちの親子である。台所の様子を覗きに行きたい気もするけれど、今は彼とふたりで過ごしたいというのも本音だった。なんせよく喋るというのも揃いの親子だ。夕食の際には、始終質問責めにあうというのが常だから。)最近、調子どう? あたしはもうヤバい。超ヤバい。課題全ッ然終わんないの! レポート燃やしちゃおっかな。(秋の日足は短く早い。傾き始めたタ日が木々の影を細く長く伸ばしていく様を見遣りながら、縁側に腰を下ろしたまま口にするのは何てことない日常の話。何気ない会話を交わすのも、もうすっかり当たり前に毎日に溶け込む光景だった。)

立花蓮 ♦ 2021/02/13(Sat) 04:26[78]

(呪術師に専念するようになって二年。相変わらずそこそこ命の危機には瀕しているけれど、Xの時のような無茶をしたことは無い。元々の性分と、帰りを待ってくれている人と。それらに助けられながら、男は今日も心臓を動かしている。)――そ。なら良かった。うちの母さんも、すっかり人が変わったよ。静音のおかげかもね。弟子入り、喜ぶと思う。(他愛ない言葉の語り口には確かな静穏が宿り、口元に浮かぶ笑みも柔らかい。彼女には、母のことを「放任主義」と言ったことがある。いまもそのスタンスは変わらないけど、以前より口数が増えた。否定も肯定もしないことが母に出来る唯一なのだと、悟るのな難しくない程度に。単に女同士だからというのももちろんあるだろう。)こっちは新入生の奴らに圧倒されそう。静音は――、はは。課題なんて出さなくてもどーにかなるっしょ。(相変わらず高専内部に間借りして暮らしている男は、卒業してなお学生らと関わる事も多い。去年は乙骨、今年は虎杖。元々訳アリの人間が集まりやすい場所だが、キャラの濃さはたしか審査基準に無いはずだよなと、彼女の前だからこそ少し遠い目をしつつ。義務教育内で課題など出したことの無い男が、無責任に笑った。)なーんか、平和だねえ。ずっとこうだといいねえ。(普段より更に声を間延びさせる男はまさしく声音も笑みもとろけていて、この場の誰より幸福を甘受していただろう。)

治葛静音 ♦ 2021/02/14(Sun) 00:39[79]

(曰く、人が変わったらしい彼の母の以前の姿を女は知らない。けれど例え口数が変わろうと、その根っこの暖かな人柄は同じなのだろうなとぼんやり考える。そうでなければ、母も自分も、こうも心を癒されてはいない。増えた縁は今日を彩り、衒いなく女を笑顔にしてくれている。)新入生なんてまだまだガキんちょでしょ、一発締めてやんなさいよ。先輩の貫禄ってやつ、見せてあげたら? どーにかなるのは蓮くらいよ、うちの教授ってばめちゃ厳しくって~!思い出したら腹立ってきちゃったわねあのハゲ。「治葛さんは、このままじゃ教育実習に行ってもどちらが生徒かわかりませんね」なんて言うのよ!? 残り少ない髪の毛全部毟っちゃうかも、今度言われたら。(拳を握りはするけれど、あくまで冗句の範疇だ。おそらく。くすくすと笑いながら紡ぐ冗談は、平和な今日の象徴のようでもある。)もう、平和ボケ? 次の任務で怪我しないでよ。ね?(長閑な空気をよりいっそう柔らかく染めるような、幸福に満ち満ちた彼の声色が笑みを誘引する。相変わらず呪術師として日々奔走している筈の彼だが、こうも穏やかな日々が続くと全てを忘れてしまいそうになる。Xで起きた事も、何もかも。――とはいえXが存在したからこそ、彼が呪術師であったからこそ、繋がった縁だ。目には見えずとも確かに存在するそれを感じ取るように柔く双眸を細めて、つられるようにして笑った。)

立花蓮 ♦ 2021/02/14(Sun) 04:35[80]

いやもう僕も若くないし……そもそも五条先生からして貫禄はないし……。(ややげっそりとした応えには実感が籠っていた。聞く人が聞けば嫌味になる台詞だが、元々枯れていたような男だ。二十歳を過ぎればそれに拍車もかかる。十代の瑞々しさや生意気加減はお世辞抜きに眩しくて、たまに会う程度の頻度でも十二分に若さを吸われる心地だった。彼らと同等のテンションで付き合える教師もまた然り。)……どっちが生徒か分かんないのは、実際そうなんじゃない? ピシッと生徒を指導してるとこはあんま想像出来ないけど。(揶揄半分、本音半分。彼女が指導する立場になったとて、生徒から煙たがられるようなそれになるとは思えない。親しまれ、笑みに囲まれる様子の方が余程想像に容易で、あぐらに頬杖をつきながらふっと目元を和ませる男の表情はいたくやさしい。)だーいじょうぶ、気は抜かないから。(気安く間延びした声が、諭すように語る。必要であれば北にも西にも奔走する男だが、今の所まだ死んではいないし死にかけたこともない。去年の百鬼夜行では大きな被害に見舞われたから、その補佐に回ることはあったけど。Xや百鬼夜行のような大きな災いは、そう起きることでは――)……?(母らから食卓の支度を手伝うように声を掛けられたころ、俄に門の向こうが騒がしくなる。持ち上げた腰で向かった玄関先には、補助監督が文字通り転がり込んできていた。)緊急招集?(彼女が男の後を追ってきているなら顔を見合わせたろうし、そうでないなら一人で息を飲むだろう。渋谷に意図不明の大規模な帳。人々が叫ぶ五条悟の名。非番の呪術師にさえ及ぶ召集。ただ事でない気配は、容易に知れた。)――ごめん母さん! 行ってくる!(すぐに靴を履いた。引き戸に手を掛けつま先を地面で数度叩く間、振り返って彼女の顔は見られるだろうか。)……いい子で待ってて。(それはいつも、任務前に彼女と会う際に戯れで使う別れの言葉。けれど今日のそれは、いつになく深い笑みで紡ぐだろう。台所に並べられたカボチャ尽くしの料理たちは、食べられそうにない。)

治葛静音 ♦ 2021/02/14(Sun) 12:47[81]

(若くないの言葉には、確かにと肩を揺らして笑ってみせた。彼の嗜好が明け透けに言えばじじくさいというのはとうに知っているから、そこを否定する気はない。まだまだ幼さが目立つ自覚はあるから、自分と彼を足して2で割ればちょうど良いのだろうか。取り零した青春時代を体験したいと、そんな理由もありきで選んだ教育学部。勉強は相変わらず苦手だったが、それも含めて毎日楽しかったりもする。この前の講義ではどうだとか、大学の友達とどこに出掛けただとか、彼のおかげで広がった世界について聞いて欲しがる表情は今日も喜色に満ちていた。緩く柔く響く彼の声が、その笑みをより一層蕩けたものへと代えていく。五年前のあの日以降、取り立てて大怪我をしていない彼に対して女が寄せるのは手放しの信頼だった。それゆえ今日とて長閑な一日が過ぎていくと疑っていなかったのに、突如騒がしくなった空気に首を傾げる。彼の数歩後ろを追いかけて玄関へと向かえば、見知った顔の補助監督の姿。――話の内容を彼の後ろで聞きながら、急速に腹底が冷えていくのを感じた。帳。緊急招集。ただ事ではないのだろうと察するには十分過ぎる単語と雰囲気に、先程まで感じていた平穏が一気に遠のいていく気がして、)まっ、待って!(思わず、飛び出していこうとする彼の袖を掴んでいた。すぐにでも出なければいけないということは分かっている。彼は呪術師だ。私だけを守って生きてはいけない人。すぐ死ぬ気もないけど、死ぬのはきっと赤の他人を助けてる時。遠い昔の記憶が鮮明に脳裏に過ぎって、まごつく唇は数度閉じて開いてを繰り返し、結局ちいさく空気を食べるだけに帰結した。柔らかな笑みを見上げながら、緩く首を振る。)……うん、待ってる。待ってるから、早く帰って来てね。帰って来たら、また一緒にご飯食べよ。お母さん達と、一緒に。(台所から漂うのは、甘く優しい食卓の香り。平和と不穏の反する雰囲気のギャップに押し潰されそうになれながら、それでも笑った。力を持たぬ己に出来るのは、いつだって彼を信じて見送ることだけだ。それが全てであるのなら、笑顔で送り出したいというのがせめてもの矜持だ。)行ってらっしゃい、蓮。

立花蓮〆 ♦ 2021/02/16(Tue) 01:34[82]

(嵐の前の静けさという言葉が、こんなに身に沁みたこともない。喜色満面の彼女から聞く日常にあたたまる胸が、改めて自分の生き方を固く決意した矢先。飛び込んできた非日常の片鱗は、話を聞くだにおどろおどろしい気配がする。事前の連絡もなく玄関前に寄せられた車、転がるように玄関を開けた補助監督。言葉でそれと言い表さなくとも、”緊急”だと空気が教えてくれるようだった。迸る緊張が、きっと台所まで伝播した。彼女に続いて母も玄関へ顔を出し、ただならぬ気配に眉を顰めたのを視界の端で捉える。だからこその「ごめん」だったけど、)――っ、(掴まれた袖は、今にも走り出さんとする男を静止させるには十二分だった。急ブレーキを掛けた足が、靴底と土間のタイルの摩擦でキュッと高い音を奏でる。まごつく彼女の唇を急かすことはしなかった。恐らくは呪術界全体危急存亡の秋にあって、それが正解かは一呪術師として判じかねたけど。立花蓮としては、それ以外の選択肢などないに等しい。助けに行くのは、赤の他人。残すのは、誰より大切な人。自分で選んだ道だからこそ、筋を通すのが道理だろう。「ごめん」は、言わない。)……ありがと。(薄く笑った唇は、約束を返さなかった。それは呪いだ、違えた時にどれだけ彼女を蝕むかしれない。否、約束しなくともきっと彼女は泣くのだろうと、確信めいた予想はある。本当は、”いい子”でなんてなくていい。泣きわめいて、薄情者だと罵ってくれたって構わない。でもそれは、――一応まだ死ぬ気があるわけではないけれど、死んだ後がいい。生きて返ってくれば、「えらかったね」と褒める口実になる。帰らねばならぬと、強く思う原動力になる。ただそれだけの言葉だ。引き戸に掛けていた手を離して、彼女へ向き直る。掴むように彼女の手首を引いて、笑顔を刷いた彼女の顔ばせごとこちらへ手繰り寄せた。小さな頭を、この胸に押し付けることが叶えばいい。)行ってきます。(耳元に置いた出立の台詞は、いつになく神妙に、後ろ髪引かれる響きで紡がれよう。わざわざ五条悟を指名するということ。相手にも相応の策があるということ。既に帳は降りて、後手に回っている状況。自分が前線につくまでに、局面がどれだけ変わっているかすらわからない。既に運転席へ舞い戻っていた補助監督が、ついに男の名を呼んだ。行かねばならない。)――母さん。静音のこと、よろしくね。何かあったら、みんなで高専に逃げて。(彼女の肩をそっと離すように押しながら、その後ろに控えている母へ目配せする。首肯する母へ彼女を預けるようにしたなら、柔らかくも働き者の手が彼女の肩を抱くだろう。その姿を確認してから背を向けたら、もう振り返らない。待たせた車の後部座席に乗り込んだあとは、刻一刻と変わる戦況の確認以外に思考を割かぬだろう。一台の車が、渋谷へ進発した。)

(――2018年10月31日、21:08。立花蓮現着。帳外、首都高速3号渋谷料金所にて夜蛾より現状把握。そのまま渋谷ストリーム方面、日下部・パンダ組への合流を図る。21:19、両名と合流。以降、術師を入れなくしている帳が上がるまで待機が続いた。途中狗巻棘の一般人避難を手伝う場面もあったろう。22:30、帳が上がっても突入の動きを見せない日下部の意図を流石に察する。が、一般人の救出漏れは確かに避けたい事態であるゆえに言及せずに、『浄玻璃』での別行動を提案。ひとり狗巻との合流を目指す。22:43、狗巻と無事に合流。移動の際に呪詛師に発見されぬよう、狗巻も含めた『浄玻璃』の発動を続ける。23:07、何者かの領域展開が発動し109前一帯が荒野となる。日下部たちと別行動となって以降、立花蓮のその後の足取りを知る者は狗巻棘だけだが――結論から言うと、高専は立花蓮の生死を把握していない。)

治葛静音〆 ♦ 2021/02/18(Thu) 18:42[85]

嘘、ついて欲しかったの。(帰って来ると言って欲しかった。待っていてと言って欲しかった。呪いでもなんでもいい。彼が残してくれるものがひとつでもあるのなら、それを光として生きていけるから。けれど渋谷が夜に包まれたその翌日、彼は帰って来なかった。その次も、その次の日も。漸く得たのは、生死不明というあまりにも曖味な情報だけだ。彼をはじめ五条悟や夜蛾学長以外に高専に伝手などない女は、彼の情報をそれ以上得ることは叶わなかった。高専に逃げるようにと言われていたが、状況があまりにも変わり過ぎているがゆえにそれも断念。最早あの場所は今、学園として機能などしていないのだろう。魔窟と化した渋谷に親子の居場所はなかったから、母とふたりで遠縁の親戚を頼って逃げるように田舎に出たのは2018年11月半ばのこと。あの日彼が家に招いてくれていなければ、母も自分も死んでいただろう。また命を救われたのに、ありがとうすら言えない日々が胸裏を締めつけ息苦しさを訴える。彼の母との縁も次第に希薄になっていき、連絡を取れなくなってしまったのはさていつのことだっただろう。)……意地悪だよね。嘘つきって自分で言ってたくせに、結局あたしには嘘なんてついてくれなかったんだから。蓮が「帰ってくるよ」って言ってくれたら、あたしずーーーっと待ってあげられたのに!(枕元に飾ったパンダに向かって、静かに語り掛ける夜。当然返事はない。塗装も随分剥げたパンダは黒かった片耳だって白くなってしまっていて、流れた月日を否が応でも感じ取ってしまう。わかっている。嘘をつかなかったことが、彼の優しさなのだろう。この身を縛ることがないようにと、そう願ってくれていたに違いない。ならば、自分のするべきことは何だろう。)……ちゃんと、前向かなきゃ……。(ぐす、と鼻を鳴らして小さく零した。いつまでも縛られることがないようにと、小さな決意をひとり胸裏に打ち立てる。彼の願ってくれかもしれない通りに生きたかった。幸せにならなきゃ。"いい子"にならなきゃ。だってこの命は、彼がくれたものだ。)

(田舎での生活は、順風満帆だとは言い難かった。東京と離れたとはいえど、不安定な日本。どのような影響があったかは知れない。あと少しで卒業だった大学も、休校扱いになってしまっている。Xを共に過ごした少女達の中には医者になった者だっていると聞いていたし、順当に行けは他の面々だって新たな人生の分岐点に立っている頃合いだろうか。社会に出るのがまた先延ばしになるのだとため息を零しながらの母との二人暮らし、もう暫くはアルバイトで日々の生計を成り立てる日が続きそうだ。彼の生死が分からなくなって、もう一年が経つ。たかが一年、されど一年。長い人生の中で見れば瞬く間に過ぎ去る日々だろうが、便りも何もない空白は今後を考えるには十分過ぎる時間だったろう。彼を思い出さない日はない。涙に暮れる夜だってある。けれど日は確かに過ぎていき、日常の中で笑うことだって増えたのは薄情だろうか。バイト先の飲食店に頻繁に訪れる青年に、好きなんだと告白されたのはこの頃だった。食事に行った。ふたりで出かけた。手を繋いだ。触れた指先は優しくて暖かくて、生きた人間の温度を感じさせてくれる。嘘などひとつもつかない、優しい人だった。この人なら好きになれるかもと願って逢瀬を重ね、一歩踏み出そうとしたその矢先。誘われた動物園で、  気づいてしまった。パンダの尻尾って、白いんだね。何気なく隣に並ぶ彼から投けかけられた一言に、一瞬で脳裏に愛しい記憶が翻る。外の世界に、彼が連れ出してくれた日のこと。初めてふたりで出かけた大都会。好き勝手に買った洋服よりも、彼がくれたキーホルダーの方がずっとずっと嬉しかったこと。世界中にひとりぼっちになってしまったような寂しさから、彼が救い出してくれたこと。すぐに逃げ出すと言うくせに、いつだって誰かのために戦い続けている姿がいっとう好きだったこと。今もまだ、彼が好きで好きでたまらないこと。)ふえ……、っ(一度思い出せば、もう駄目だった。前を向こうなんていい子ぶった思考は瞬く間に霧散して、涙がぼろぼろと溢れ出す。隣に並ぶ青年に、涙と嗚咽の間に何度も繰り返した。ごめんなさい、ありがとう、貴方のことは大好きだけど、もっともっと大好きな人がいるの。忘れられないの。その人じゃないと駄目なの。)蓮が好きなの、   これからも。蓮じゃなきゃ駄目なの……。


お母さーん、おかえり。晩ごはん出来てるよー。(──月日は巡る。ひととせ過ぎて、また秋がやって来る。少し離れた場所に広がる田園は、すっかり黄金色に一面が塗り替えられていた。肩まで切った髪を撫でる風も、いつの間にか稲穂の香りを纏わせている。彼の母に弟子入りを果たすことは今日に至るまで終ぞ叶っていないが、それでも包丁を扱う手は随分と慣れたものになった。)田島くんとこのお母さんがね、お家でたくさん穫れたからどうぞってくれたの。おいしそうでしょ?(言って、テーブルの上に並ぶ食事を指さした。生徒の親から野菜をもらうことは多く、他に並んだ白菜の煮びたしだってその恩恵に肖ったものである。醤油と砂糖だけで炊いたシンプルなかぼちゃの煮つけは、深い橙色をしてうっすらと湯気を漂わせていた。上手になったねと笑う母に、 柔く双眸を細めてみせる。 蓮に食べさせてあげたいねって、そんな言葉は静かに胸の奥へと飲み込んだ。未だ、その後の便りはない。呪い蔓延る呪術界、彼の行く末を知る者はいるだろうか。それすらも曖昧なまま、女は今日も生きている。おかえりって。頑張ったねって言える日を、ずっとずっと待っている。"いい子" でなんていられない。わがままでいていいのだと、これも彼が教えてくれたことだ。だから女は、彼を諦めることを諦めた。月に叢雲花に風。さよならだけが人生なんて、絶対言わせてなるものか。)

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