治葛静音〆 ♦ 2021/01/17(Sun) 13:39[43]
え、連絡くれるの?ほんと?(思わず、ぱちりと瞬きを繰り返した。奪還だ護衛だと与えられたそれではなく、彼が示してくれた未来の可能性に自然と柔く緩んだ眦に春が翻る。それがどんなに僅かな可能性でもよかった。気紛れでもよかった。なんせ“くろ太郎”の愛称は、もうとっくに舌先に馴染んでしまっている。微睡に浸っている女は離別の欠片すら抱いておらず、「次はオールドファッションかなあ」など未来に思いを馳せていた。そうして、甘やかな空間――例えばホットミルクの上にポツンと落ちてくる蜂蜜のような、そんな優しさを彼の言葉が孕んでいるように聞こえて思わずドーナツを頬張る手が止まる。)い いいの?本当にそんなことしちゃっていいの? ありがとうくろ太郎、大好きっ!あっ、あたしのドーナツ食べといていいわよ!(言うが早いか、まだ皿に数個残ったドーナツを彼に託して急ぎ足で店内を出る。振り返って手を振るのは、行ってきますの挨拶代わりだ。そうして早足で向かう先。商店街の奥、古びた木造アパートの二階に、母は住んでいた。私と、――見知らぬ男と。本当は嫌だった。父の記憶が薄れていくようで。でももう大丈夫。離れてわかったの。これからは、お母さんがいてくれれば何だっていいから。ドーナツショップから然程離れていないアパートの二階、一番端の部屋。そこは母と自分の場所の筈だったのに、―――)………………うそつき。(零れた言葉は、自分の耳にだけ届いていればいい。入居者募集と張り紙が貼られた部屋。それが全部答えだった。いつか迎えに来てくれると言ってくれた母は、もういない。約束などなかった。二度も捨てられた気持ちだとは、身勝手なものだろうか。最悪の想像を受け止める覚悟をしていたのに、現実は想像の何十倍も冷酷だった。無人の部屋の玄関先に背を預けて座り込み、躊躇う指先はそれでもスマホを手にして、彼の名をなぞる。)……くろ太郎、~~~ッ迎えに来て。あたし。……くろ太郎のところに、帰りたいよ…。(幼い我儘だと知っている。彼がこの身を守ってくれる理由はあれど、心まで守る必要なんてないことも。それでも、縋らずにはいられなかった。今この瞬間、彼だけがたった一つの希望だったから。)