乙無白亜〆 ♦ 2021/02/09(Tue) 22:45[99]
(2014年1月24日を以てXは解体。信徒や生贄の少女たちも元居た場所へと散り散りに帰り、事後処理などに追われて暫く多忙が続いていた高専内部も数ヶ月が過ぎる頃にはすっかり日常を取り戻し、穏やかに刻は流れて今は炎節。晴れ渡った空にはくものみねが高く聳え、蝉時雨がいっとう力強く響き渡る炎天は人工の風吹く室内でも汗ばむ陽気であった。網戸の張った窓の側に吊るした夏の風物詩たる風鈴は、風を浴びるたびにりりんと玲瓏たる音を響かせて美しく揺れている。寒色と紅色の折り鶴に見守られながら、真冬に控えた高校入試に向けて紅玉はじっと机に向かって参考書とにらめっこ。ノートにペンをすらすらと走らせていく。ただそれも扉の開く音が聞こえるまで。大好きなひとの聲が鼓膜を震わせたなら寒色のペンを置いて、当たり前になった「おかえり」を告げながら、机に広げていた参考書とノートをぱたんと閉じては二日ぶりに会う彼を迎えるべく席を立とう。彼がお土産に持って帰ってきたチラシをまじまじと見つめて、ゆるりと首を傾ぐ。)花火、大会?(過日持ち上げた指の先で美しく輝いていたきらきらが、夜空に大輪の花となって咲き誇る写真を見れば紅玉が好奇心に煌めいた。一般常識は最早日常生活を送るにあたって支障ないレベル。ゆえスマホが知らせた着信と、それを見て微かに強張った彼のかおばせをみとめてはのちの吐露を聴くより先になんとなく事情も察せよう。さりとて呪術師の柵はもちろん家族を知らぬむすめが理解できることはきっと限られていて、七回忌の言葉には案の定首を傾げつつ、せめて彼の心が少しでも晴れるようされるがままに頭を寄せていた。)
──…置いていかれるのも、いっしょに居られなくなるのも、いやと思う。 でも、(一度言葉を切ったのは、淋しさ以外にもこの胸の裡に渦を巻く想いがあったからだ。今一度紅玉を彼の寒色へと向けたなら、ゆっくりと、言葉を選ぶように唇を開く。)こうかいしないように、となりが生きたいように生きるのが、一番いい。 わたし、となりに自由でいてほしい。(少し前に彼から掛けてもらった言葉を今度はむすめが返す番だった。経緯を訊いて、想いを聴いて。迷うような言葉が鼓膜を震わせた瞬心に湧き上がったのは、ただ彼に後悔をしてほしくないなって想いだった。喩えこの身が置いていかれることになったとしても、彼がやりたいことをして思うままに生きられたらそれでいいって。いつか告げたように乙無白亜のしあわせは彼が笑っていてくれることだから、彼がどんな道を進もうとついていって、隣で支えていくつもり。)わたし、ずっととなりの傍にいる。 となりが帰りたいって思えるような、ただいまって言える、あったかい場所に、なるよ。(この身もまた彼に救ってもらった命のひとつなれば。もし彼が路頭に迷った時は、真っ暗闇を照らす灯になって導こう。彼が疲れてもうだめだなって思った時は帰る場所を想い出してもらえるように必死に聲を掛け続けるし、ぬくもりが欲しいならぎゅうっと抱きしめることだってしてあげられる。)だから、帰ってきてね。(いついつまでも、乙無白亜は近嵐隣の帰る場所で在り続けるから。憶えていてねって祈りを詠う。またこうして、当たり前のように彼におかえりを言えるように。)
(2015年4月。多方面から多大なる援助を受け、この春から乙無白亜は本人たっての希望で東京郊外にある全日制の女子校へ入学。背丈はそこまで変わることはなかったけれど、肩のあたりで揺れていた白糸は憧れの高専医師とおんなじくらい背中の真ん中くらいまでまっすぐに伸びて、あどけなさの抜けたかおばせはむすめを年相応の少女に見せてくれていた。金銭面は少しでも浮かせられるよう毎日のお弁当作りに際し今は料理の勉強中、まっさきに覚えたのはおにぎりの作り方だったなんてきっと言うべくもないことだ。お弁当箱を学生鞄に詰め込んで、ぱたんと部屋の扉を閉める。露出を許さぬサングラスと鍔広の帽子、肌を守る日焼け止めクリームや日傘は華の女子高生には不要なものでも、陽光さす世界でむすめが生きるには必要なものだった。高専から女子校まではバスに乗って駅をふたつほど通過するくらい、まだ急ぐ時間ではないからと並木道を進む足取りはのんびりだ。いつかのクローバーを閉じ込めた小さな硬化ケースを括った鞄を肩に揺らし、くるりと日傘をまわしながら想いを馳せるのは早くも放課後のこと。だって今日は彼が任務から戻ってくる日。だから授業を終えたら友達との寄り道はせずに一番早い電車に飛び乗って、高専に戻ろう。もしかしたらおかえりを言われるのはむすめのほうになるかもしれないけれど、硝子のような紅玉に大好きなひとの姿を映したなら2年前よりも更に感情豊かになったかおばせをやわく綻ばせて、見つめた先のしあわせへと微笑んだ。)おかえり、となり。