乙無白亜〆 ♦ 2021/01/26(Tue) 01:28[55]
(「明日は午後から雪が降るらしいね」そう窓の外へと視線を向けた先生の眼差しを追って紅玉を向けると、窓の外は澄んだ蒼穹が広がっている。ゆうるりと小首を傾いではカタリと席を立ち、本当に降るのだろうかと楽しみでそわそわする心を御しきれぬまま、むすめは惹かれるように窓へと寄った。もっとよく空が見たいと窓の施錠を外し、ガラッと窓を開けた瞬「それに“彼”も帰ってくるよ」吹き込んだ寒風におー寒いと震える先生よりそう告げられたなら、晴天に向いていた紅玉をびっくりしたようにぱちくりと瞬かせて、真っ黒な布を見つめた。むすめは彼の、この先生の目隠しがあんまり好きではない。だから窓は開けたまま今度は先生のほうへ歩み寄って、物言いたげな紅玉を真っ黒い布へと向けて。どうしたのって背を屈めてくれたのをいいことに、えいっと目隠しを持ち上げればびっくりしたみたいに瞬いている対の蒼とバチッと視線が交わった。)さとる。 しょうかく、は、いいこと?(聞き耳を立てていた折に彼の口から「嬉しい」の音が落ちたのだからきっといいことなのだろうと思いはすれども、彼が忙しくしている理由に二級昇格が関係していることもなんとなくわかるから。昇格がどういうものかを知らぬがゆえ、無垢な紅が問うように対比的な眸をじぃっと見つめて、返ってきた答えを聞いてはあたたかく吐息した。大変だけど、いいこと。)よかった。(明日で最後なんだから、後悔のないようにね──ここに来てから頭を撫でられることも増えた。くしゃくしゃと撫でまわされるのは褒められているようで嬉しいけれど、一番あったかく感じるのはやっぱり彼の大きな手だと思った。明日で最後。もらった言葉を反芻しながら与えられるぬくもりに浸るよう、紅の眸子を白の睫毛の下に伏した。今日を含めて家に帰るまであと4日。てんしさまともこんなふうに触れ合える日がくるといいなって、近い未来に思いを馳せた。)
(きらきら星明かりが濃紺に輝く夜。神々が御座す美しい天に雪の降る気配はまだなく、開けた窓からは冬を象徴するようなひんやり冷たい空気が流れ込んでくる。窓辺に配置された学習机は空を、風を、星を、一番側に感じられるむすめの特等席だった。閑かな夜に色を添えるオルゴールの音色が止まるたび底のネジを巻いて、硝子細工のてんしさまをくるくると廻らせて。今宵も黙々と鶴を折りながら、いっとう強く吹いた風に誘われるように手を止めればかおばせをあげた。そよそよ揺れる横髪を耳に掛け、紅玉は吸い込まれるように満天の星を見仰ぐ。デスクライトの明かりを消すとますます美しく映る星々は今にも濃紺から零れ落ちてきそうで、数多煌めく星のなかでもいっとう強い輝きを放つシリウスは、むすめの眸を奪って離さない。──そうだ。とある技師は夜空に輝く星に願いごとをしたことで、妖精に願いを叶えてもらったのだという。美しき満天の許、祈りを捧げるよう手指をそっと組んだ。白い睫毛を伏せ、瞼を閉ざす。物語の技師がそうしたように、輝く星に一度だけ、誰かのための祈りではなく自分の願いごとを紡ぐことが許されるなら。) (オルゴールの旋律に消されてしまうほどのあえかな音でささめいた。「 生きたい 」贄になるために、いつか死ぬために生かされているのだとしても。願ってしまった。気付いてしまったんだ。価値や対価を求めず、乙無白亜という個を見てくれるひとがいるということに。)となり、だいすき。(彼の笑顔が浮かんでは泡沫と消えていく。その中に幾つか曇ったかおばせを見つけては、祈りをほどいて眸子を開いた。愁いをなくすために、みんなでしあわせになるために。帰ろう、わたしの居場所へ。きっともうすぐ叶うから。彼の眸とおんなじ色した折り紙を手に取っては星明かりの許、ふたたび指先に祈りを宿す。翌朝。曇天重く垂れこむ窓の傍らには、学習机でそのまま眠りこけたむすめを見守るように寒色の鶴が翼を広げていた。)