御調久遠〆 ♦ 2021/01/17(Sun) 17:11[23]
(なにもかもが簡単だった。体術も呪術も薬学に勉学も、どんなことでも教えられればすぐに熟せる優れた慧眼を持つユーティリティープレーヤー。それが生まれつき“なんでも出来る”という縛りを課せられた御調久遠という男の全容。政略結婚の果てに生まれた御調家きっての鬼才だった。今代こそ御調家の力を血統ばかりを尊ぶ呪術師どもに知らしめてやると慶ぶ祖父の期待を背負い、すべてを見下し莫迦にしたような冷めた眸で物事を見据えては、ただ言われるがままに術を磨き肉体を鍛え薬学を身に付ける。どうして息をしているのか不思議に思うくらい、つまらなくて、退屈で、命を消費していくだけの日々。諦念、暗澹。なにもかも、自分の命すらどうでもいいと思っていた。)
(その思考に拍車を掛けたのが呪いを喰らう御調家の呪術だ。呪霊を解析する無二の力、なれどそれを為すためには呪霊の血肉をごくりと呑み下すのではなく、がぶりと思い切り噛まねばならなかった。どろりとした体液の滲み出る異臭を放つ腐肉を。吐瀉物を始末した雑巾の如きおぞましい血肉を。がぶりと。噛んで。噛み潰して。噛み熟して。咀嚼して。やっと嚥下する。呪いは人間にとって毒なれば、喰らえば無論ただでは済まない。御調家が薬学に秀でているのもこの術式で死なぬためである。血肉を喰らい死にそうになるたび薬を打って延命。延命。また延命。幾度となく死線を越え、普通の食事ですら嘔げるほど肉体が衰弱してから漸く肉体は生き延びるために味覚を放棄した。ここまでくるともう生に価値など見いだせなくなっていた。)
(男には父親が居た。呪力こそ宿していたが御調の呪術に耐えきれないほど病弱であった父は、それなりに名のある呪術師家系の母と政略結婚をさせられて以降離れに幽閉されていた。ゆえ接する機会はそんなになく、男が気まぐれで離れを訪れた時くらいにしか貌を合わせることもなかったが、どんな時間帯に会いに行っても父は常に褥の上にいたことを憶えている。白い着物を纏う父の体躯は信じられないほどに痩せこけていて、薬の影響か、まだ歳若いにも関わらず黒檀の髪はところどころ白髪が見て取れた。鋭い祖父の眸とも同情滲む母の眸とも異なる穏やかな父の黄昏は、見つめられると不思議と心が落ち着くから好きだった。けれど父は死んだ。長雨の降る季節、男が齢12の頃のことだった。母は愛などなかったとでもいうように父の死にも表情一つ変えず、祖父などに至っては知らぬ存ぜぬの態度を決め込んでいた。斯く言う男も、涙は零れなかったけれど。それでも。)…………勝手に死んでンじゃねーよ、クソ親父。(「久遠、お前はもっと傲慢になりなさい」死する前、褥に横たわる父から告げられた言の葉を想う。世の中つまらないことだらけだとしても、諦めず進み続けなさい。どうでもいいと投げ出すのではなく、厭なことは嫌だと告げてもっと傲慢に、我がままに生きなさい。愉しいと感じたことは心のまま、飽きるまでめいっぱい楽しみなさい。外はお前の知らないもので満ちている。そうすれば人生は退屈なものばかりではないと知れるから。)ナニを根拠に人生退屈ばかりじゃねーって言ってンだよ。(父の墓前を見下ろす。供え物の花は男が持ってきたものだけで、線香の数も然り。誰も父の死を悲しんでいない。あの家で誰よりもマトモだった父の死を、無かったもののように片付けるこんな世界のどこがクソじゃないというのか。)……厄介な呪い残して逝きやがって。(嫌いだ。御調家の名を伸し上げんとこの身に呪いをそそぎ続ける祖父も。同情の眼差しを向ける癖、ただ傍観するだけの母も。けれども父のいうように傲慢になることで色褪せたこの世界に多少の変化を望めるなら、この檻の外を出ていまいちど世界を見てみるのも悪くないのかもしれない。──以降ひとが変わったように傲慢に、粗暴に。祖父へと反抗的な態度を示すようになった男はこの5年後、痺れを切らした祖父に家を勘当され高専へと流れていくのである。)
(──久遠。 それはどうか永く生きろと父に祈られた名。それは永遠につわものたれと祖父に押し付けられた名。永劫この身を縛り続ける呪いの音。誰よりも空虚に生きる、からっぽな男をこの世に留めている名だった。)