今波燈〆 ♦ 2021/01/16(Sat) 06:49[21]
(むすめは昔から、よく言えば切り替えるのが、悪く言えば諦めた風な体でいることに長けていた。欲しいものがない訳じゃない、やりたいことを口にしない訳じゃない。努力がいくら苦手であろうとも、みずからで解決できることならみずから取り組んで成果を出すようにだって努められる。ただ、それが叶うかどうかについてはさほど期待を見せないようにしてきた。そうすれば、叶えられなかった時に胸がいたまないことを無意識に知っていたから。求めることを通すより、ゆるされぬことを通してしまうことで嫌われてしまうのがこわかった。顔ばせにはひとかけらもあらわさず、ひとりになろうとするくせに。そんな可愛げのないむすめとは裏腹な、可愛げのある弟。決して愛されなかった訳ではないし大切にされなかった訳でもないけれど、周囲の人間がどちらをより可愛がるか何て火を見るより明らかだ。幾らさみしくとも、結局はすべてみずから招いたものゆえ仕方ないとみずからを納得させていた。だからだろうか。Xの中で学んだことも逃亡への熱意もあれど、死へ向かうことに半ば諦念が無かったかと聞かれれば答えに窮する事態に陥っていたのは。贄となることこそ今のむすめにできることだと、価値を説かれてしまえば、意味ある死と誰かに尊んでもらえるのかもしれない。あるいは、さみしんでもらえるのかもしれない。それでも、生きたいと思う矛盾。むすめのこころの時間は、止まっていたのだろう。それにもかかわらず、今願いは叶おうとしている。気持ちが追い付かず、とまどいを見せることになっていたのこそ確かなことだった。これは、そんなXから脱出した翌日のお話だ。)えっ、……欲しいもの……食べたいもの……お願いしたいこと……?(宛てがわれた部屋から連れ出され、高専の教室の一角でかの教師から説明を受けた直後のこと。唐突に変わった話題についていけず、困った風な顔ばせを装って怪訝な混乱を濁す。「そう、クリスマスだったしね」と語らうさまは冗談の色合いが濃くて掴みどころがないけれど、むすめの口がすべりやすいように気遣ってくれているのだろうと踏むには易しい。)……クリスマス……(最初に思い浮かんだのは家族のことだった。家族の行方は?ある日突然消えたむすめはどのような扱いになっているのだろう。言葉に出そうとくちびるが開いて、――閉じる。彼等の考えが読み切れない今、敢えて危険をおかすこともないだろう。Xのこともあるし、下手な道は選べない。そも、家族が今もむすめを探してくれているのかを知るのがこわかった。思惟を巡らせるように瞼を伏せて暫し、おずおずと視線を持ち上げて「じゃあ」と口火を切ろう。)御調に約束したんです、ケーキを差し入れてあげるって。それを、私の代わりにして貰えたりしませんか。(無意識に繋いでいた未来の約束。いつ誰と別れが訪れたとしても諦めがつくようにしていたはずのむすめが持っていた、矛盾と綻び。いつかの先にまわしたって良かったけれど、彼との縁がどこまで続くかなんて分からない。頭を下げて願い出れば、それはさほど時間も要さず叶えられることになるだろう。彼の事情も知らぬまま。自室に戻って待機中、折角だからついでにと買ってきて貰ったケーキのおこぼれにあずかって感謝を告げたのはそれから間もなく。)変わってないなぁ、やっぱりおいしい。(そうして、外に出たことを実感する。やわらかくまろやかなクリームと、ふんわりと口どけなめらかなスポンジ、みずみずしく甘酸っぱいいちごのハーモニー。昔日食べていたそれと何ら遜色ない。胸中にしこりがあったとしても、それは今を楽しまない理由にはならなかった。ケーキは食べれば消えてしまう儚くてささやかなものかもしれない。それでも。宛てがわれた自室でひとり、むすめは素直に頬を緩めて、ちゃっかり幸せのひとときを享受していた。それが、どんなに身勝手で残酷なものかも理解せぬまま。)