七竈王哉〆 ♦ 2021/01/15(Fri) 18:42[19]
(一目で思った。俺は、こいつが嫌いだ。)
(寮の自室に戻るなりべッドに倒れ込んだのは、記憶にある限り久しぶりだ。最近では与えられる任務も物足りないくらいになっていて、此度のお姫様奪還作戦とやらだって大したことのない内容だったというのが本音だ。果たして二級術師に昇給するに値するほどの内容だったのだろうか。けれど現今七竈の体は無視出来ない程の惓怠感に包まれていて、目を閉じればきっと抗う間もなく眠りに落っこちてしまうだろう。この気怠さが何に起因するのか、心当たりはあった。 "名誉"の生贄である、一人の少女。声を震わす程外の世界を渇望していたくせに、狭い箱庭に閉じ込められていた可哀そうなお姫様。)あー、めんっどくせえ…。(零した独り言に苛立ちが滲んでいることは、他の誰でもない自分が一番知っていた。べッドの上で寝返りを打った程度では消えてくれそうにない焦燥を無理やり取り払うように、静かに目を閉じる。予想通り、微睡は二秒でやって来た。)
(──夢を見た。まだ十にも満たない幼子だった頃の、胸糞の悪い夢だ。酒に酔って暴力を振るう父と、身を呈して自分を守ろうとする母。──父親は、元を辿ればそこそこ名のある呪術師の家系のうまれだったのだという。けれど実力主義のその家で、呪力を持たずにうまれた父がどのような顛末を辿ったかは想像に容易い。家を飛び出した父は母と出会い生涯の安寧を手に人れたように思われたが、束の間の幸福はすぐに幕を下ろした。呪力を持った子どもが生まれたのだ。それは、長年の劣等感に苛まれた男の心を壊すには十分な切欠だったのだろう。そうして家庭は、瞬く間に地獄に成り果てた。幼い自分は何も出来ず、細くて折れそうな母の体に抱き締められながらただ嵐が去るのを待ち続けていた。記憶の中の母はいつだって決まって笑っていて、その笑顔を見るたびに情けなくて苦しくて、胸が張り裂けそうな痛みを覚えていたことを思い出す。きっと自分は、母に泣いて欲しかったのだ。強がらずに涙を見せて、助けて欲しいと言われたかった。そんな力もないくせに。──母さん。俺、呪術師になるよ。母さんのことも、これからは俺が守ってやるから。 母が急逝したのは、七竈がふたりで生きる未来に一筋の光を見出してすぐのことだった。高専に人学して、力を得て、金を稼いで。いざ恩返しをしようと思った矢先に母が死に、この手に残ったのは後悔のみ。まるで呪いだ。もう母はいないのに、守ると告げた己の言葉がこの血に染みて全身を巡り続けるから、行き場のない遣る瀬無さが今も死場を探して彷徨っている。)
う一わ、 すっげえ顔。(翌朝、 鏡に映る自分の顔があまりにもひどくて笑ってしまった。太陽がとっくに朝を告げている時分に関わらず、未だに悪夢が尾を引いているような心地だ。)……何思い出してんだっつの……。(ため息とともに吐き出して、再びべッドに身を沈めた。今日の授業は全て自主休講だ。──わかっている。どれだけ悔やめど振り返れど死者は還らず、過去を切り捨てることは能わず、生きていくしかない。けれど翩翻と脳裏に翻る記憶が、一晩経てもまなうらから離れてくれなかった。幼い頃、自分のためにその身を犠牲にして、それを良しとし、死んでいった母。──あの少女は、どこか母と似ていた。年端も行かぬ少女が擲つ献身に反吐が出る。けれどそれ以上に、)勘違いすんなよ、馬鹿が……。(あの夜、外に出た瞬間。遠い春を映じた笑みを彼女が浮かべたその瞬間、救われたような心地を覚えた己が許せなかった。強く瞑った双眸が瞬きを取り戻すまでの数十秒。目を開いたとて後悔は消えない、消してはならない。母を救えなかったという後悔だけは、決して。──西風千鶴。優しく清らかでかわいそうな、善性の化身。男が抱く無二の愛に、よく似たかたちをしていた。)
(一目で思った。俺は、こいつが嫌いだ。彼女を見ると、弱かった自分を思い出す。救われたかった過去を思い出す。救えなかった母のことを思い出す。 だから。)