七竈王哉〆 ♦ 2021/02/15(Mon) 23:33[131]
乗りな。(車の屋根に左腕を乗せて体重を預ける男は、右手の親指でくいと後部座席を指しながら言った。2018年、8月。呪術師を辞めたかと思えば補助監督として呪術高専に身を置くことになった男の、最初の仕事がこれである。もう随分と長い付き合いになる後輩の前で今更畏まった態度を取るつもりもなく、さっさと運転席に乗り込めば煙草に火をつけエンジンをかけた。)任務の詳細は連絡行ってるよな? 群馬の廃トンネルに面倒なのが出るんだとよ。山道酔うかもしんねえけど、耐えろ。頑張れよ。(男が補助監督に至った経緯は特別説明していない。先々月に死にかけた程度の話は耳に入っているかもしれないが、さてどうだろう。高専から車を走らせる数時間の道中、交わすのは何てことのない雑談ばかりだ。「最近中庭に住み着いてる猫が子ども産んでたんだけどさ」「高専にデリバリー頼もうとしたら対象地域外って言われちまった」「次新潟出張だっけ?土産よろしく」「そういや俺多分結婚するわ」――すぐに死ぬしすぐいなくなる。そんな人間ばかりが集まって生きているこの世界、こうしてくだらぬ雑談を交わせる相手は貴重だ。敢えて口にすることはしないけど。男の運転の粗さも相俟って、がたごとと舗装されていない山道を進む車体は不規則に揺れるがそれもあと少しのこと。目的地付近までやって来たことを確認すれば、車を停めて「降りるぞ」と一言告げて車のドアを開く。周囲に漂う空気は澱んでいるし重苦しいし息苦しい。今までならば一も二もなくさっさと飛び出していただろうが、生憎ともうそれは自分の役目ではない。)無様な姿見せたら殴る。10分以上かかっても殴る。俺の後輩の名に恥じない働きして来いよ。(それが男なりの鼓舞であるのだと、伝わらずとも良かった。軽く握った拳を向けるのは、行って来いの合図だ。その拳がぶつかれば、至極楽しそうに口元は緩むだろう。馬鹿正直という形容が良く似合う男は、さて飛び出していくか慎重にいくか――どちらでもよかった。男がやるべきことはひとつだけだ。戦地に赴く後輩の後ろ姿を見遣りながら、小さく口を開く。)――……闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え。(言霊に呪力を乗せ、帳を下ろした。――これが、補助監督としての初仕事。まさか己がサポートに回る日が来るなど予想していなかったが、可愛い後輩の為に何かしてやるのは存外悪い気はしなかった。)