今波燈〆 ♦ 2021/02/11(Thu) 23:01[121]
(2014年1月24日。彼とふたりきりのささやかなティーパーティーを開いたのち、お世話になった教師のひとりからXが事実上解体となったことを改めて知らされる。「先生もご無事で良かったです」「そうですか」「ありがとうございました、本当に」と頭を下げて呟いたむすめの顔ばせは、複雑な色を持っていた。その理由はむすめにだって掴めそうにないけれど、はっきりしているのは数年に渡る悪夢は終わりを告げたのだと言うこと。そして、きっとそう遠くない未来に避けてきた現実と、――元の家族と決着をつけねばならぬのだろうと言うこと。)
(2014年3月、むすめは無事に残っていたらしいみずからの戸籍を手繰り寄せて中学卒業の資格を得る。2014年9月、高卒認定試験に無事合格。斯くして2015年4月、志望していた大学に入学し看護学を学ぶようになる。医学も薬学も捨てがたかったむすめが看護学を選んだのは単純に高専との間で交わされた時間的な制約があったのと、譲れないものだけを選択した中で自由な時間を少しでも得られやすいものをと選んだ結果であった。何時か少女らと話をしていたように花屋でバイトする傍ら、彼の休みには彼と共に過ごせるよう尽力しただろうことは必至。先立つものの貯蓄のため、そしてもっと単純な下心――じゃなかった、打算もあって、未だむすめは高専にお世話になり続け、むすめだけで過ごすような時間の殆どは薬学の知識を独学で身につけながら日々を重ねていった。2016年、むすめは大人の仲間入りをせんと袴に身を包んで成人式を迎える。大学の友人らとも行う予定の成人のお祝い会を前に「ねぇ、お祝いしてくれる?」って彼にいの一番に見せに行ったことはひみつにもならないから、写真を撮ってそのたまゆらを切り取り思い出に刻んでおくことにしよう。勿論、当日が任務であればその前後彼だけのために着飾ることも辞さないつもりで。実習の関係上、早期卒業制度は用いず卒業を控えた2018年、むすめは再び人生の岐路に立たされる。就職と言う、大きな岐路に。――まだ現実と向き合うには早すぎるから、保留にしたまま。)
(さて、その間のむすめの話をしよう。おもいの諦め方を知らない、むすめの話だ。彼と共につかず離れず――であったかは彼がむすめを拒んだ程度によるが、何にせよ任務のことを聞けば心配そうな視線を向けながら「行ってらっしゃい」を告げて、怪我をして帰って来れば泣きそうに滴を眸子で堪えながら「お帰りなさい」と「ありがとう」をわらって精一杯に伝えて来たことだろう。呪力が必要なことは何ら手伝うことは出来ないが、それ以外のことならなんだって手伝えるように時間を使って来た。不器用ゆえに多少手際が悪くとも家事だって看護だって何だって覚えて来たのはそのためだ。「ばか」とか何とか、可愛げのない減らず口と共に軽口を叩いてはいたものの、それだって尊過ぎる日常の証左。意地でなかったとは言わないけれど、それは無理に繕ったものではなくてさいわいのひとつをあらわして「分かってるよ」「でもそれ、未来の御調のことは全部諦めろってことでしょ」「絶対に嫌」「それこそ無理だもん」と開き直るようにわらって彼の忠告に応えた日のおもいをそのまま形にしていたのだろう。彼がその名を好きになれないなら、その分だけ彼の名を好きになると決めた。たいせつだと思えないなら、それ以上にたいせつにしたいと思った。むすめのことを、彼がたいせつにまもろうとしてくれているように。むすめが諦めて手を離して、見送れば――多分、これから先またひとりでいきてゆくのだろう。むすめが出来なかったことを、知らぬ誰かが叶えてくれるのかもしれない。そも二度とあえなくなるのかもしれない。それで後悔しないかといつかのように誰かがむすめにささめく。答えは、否だった。だから、むすめは彼と交わしたちいさな約束を叶えては増やすことを繰り返した。スカイツリーに行って、水族館に行って、プラネタリウムに行って、展望台にだって行った。買い物も楽しんだし、色彩ゆたかで香りのよいものを楽しめるような食事を選んでしたことだってあっただろう。もう一度ケシの花が咲く季節を狙って薬用植物園に行くことだってあれば、遊園地での賑やかなデートからお弁当を持って公園でののんびりすることを目的にしたデートだって。彼との軽口に一喜一憂するように感情を顔ばせに乗せ、時には彼の手を引っ張るようにしてしあわせを享受した。しなかったことと言えば、所謂お家デートと下の名を呼ばうこと位だろうか。彼の名はむすめにとってとくべつなものだったから彼にゆるされるまでは呼ばうつもりはなかったし、最後の扉も彼自身が開けなくては意味がないと思っていた。彼の意思をたいせつにしたかったから。そして何より、彼を信じて待つと、一緒に考えたいと言ったむすめの気持ちを信じて貰えるよう、努力を続けていたかったから。 それが恋慕も思慕も何もかもを欲しがった、むすめの誠意だった。)