阿閉託夢〆 ♦ 2021/02/11(Thu) 17:01[120]
(――2016年、12月。単独任務で訪れたのは、生まれ育った故郷、富山だった。調査対象は、連続怪死事件。被害者の年齢や性別や職業はバラバラで接点もなかったが、遺体の異様な状態が共通しており、呪霊によるものと思われる――との事だった。嫌な予感はしていた。予感というよりも、妄想というべきだろうか、それとも祈りだろうか。この件に、阿閉の一族が関わっていませんように。どうか無関係でありますように。しかし、そういうマイナスの予感に限って当たるものだ。調査を進めるうち、呪詛師が関わっている事を掴んだ。向かったのは、雪が多く降り積もる、山間の寒村。大きな日本屋敷、その長屋門の前に立つのは、さて何年ぶりだろう。呼び鈴も慣らさず、門を派手に蹴破った。呪力を察知した使用人が何事かと駆け寄ってきたけれど、体術で地に伏せさせた。玄関の扉も蹴破って、懐かしいだなんて思わない、けれどしっかりと記憶には残っている間取りの家の中を進んで、途中を邪魔する者はみんな殴って蹴って黙らせて――行き着いたのは、現当主、祖父の部屋だ。老翁は悠々と、ひとり、将棋を指していた。「――五条悟のもとなんぞに逃げた臆病者が今さら何の用だ」。こちらを見もせずに発された言葉を無視して、)……一連の連続怪死事件。裏で手ぇ引いてんのは阿閉家か。(短く問うた。「だとしたら、どうする」。返答を聞いた時には、既に呪具を鞘から抜いて、床を蹴って祖父に向かっていた。)五条先生の目が届かねぇからってコソコソと汚ねぇ事やってんじゃねぇぞ!!(右手に九鈎刀――一級呪具「叡傑」、左手に柳葉刀――同じく一級呪具「蠱惑」。躊躇いはなかった。憎くて憎くて憎くて仕方がなかった。祖父も、祖母も、父も、母も、分家の叔父も叔母もいとこ達も。家が、家族が、親族が何よりも嫌いだった。楽勝とはいかなかった。祖父も祖母も父も母も叔父も叔母もいとこも、みな呪力を持った呪詛師だ。だから、ここで根絶やしにしなければ、と思った。高専で鍛えた戦闘術に加えて、術式も惜しみなく使った。――掠気呪法。それは代々続く呪詛師の家系である、阿閉家に伝わる相伝の術式。対呪霊のものではない、人間を相手取る事に特化した術式。それを、存分に使う時だった。相手から敵意や殺意を奪い取り、アドレナリンが大量分泌された脳ミソで、ひたすらに刀を振るった。死ね、死ね、死ね。阿閉家はおれが終わらせる。呪詛師の名家もここで終わりだ。全員おれが殺してやる。笑いながら、そう叫んでいた。)
(五条悟に助けを求めたのは、中学生の時だった。直接人を殺した事はまだなかったけれど、呪詛師の仕事の手伝いはやらされていた。このままでは自分も人殺しになってしまう。それだけは、絶対に嫌だった。家にあった現金を持ち、着の身着のまま家から逃げ出して、東京を目指した。――あの時、高専の正門前に辿り着いた時。五条悟と偶然出くわせた事は、幸運としか言いようがない。なにせ自分は呪詛師の家系の者だ。見つかれば、処分されてしまうかもしれない。――「キミの術式、おもしろいね」。初めて聞いた五条悟の言葉が、それだった。「……助けて」。気づけば、彼にすがっていた。「助けて。おれ、このままじゃ人殺しにさせられる。人殺しなんかしたくない。呪詛師になんかなりたくない。助けて! おれを高専に入れてくれ! 呪詛師になんかなりたくない! 呪力を、人を殺すためになんか使いたくない!!」――呪詛師の家系である阿閉家の子供を高専に入学させる事には、反対する者がほとんどだったという。それを、最強の呪術師である五条悟が、融通をきかせてくれた。彼に救われた術師は、きっと、自分のほかにも多くいるのだろう。)
(床には血だまりができ、壁や家具に血飛沫が飛び散り、あちこちに死体が転がる屋敷の中で、しばらく、廊下に座り込み、ぼんやりとしていた。術式の効果は薄れ、ほぼ平常心に戻っていた。――ああ、残穢を消して、死体を片付けなければ。けれど、すぐに動く気にはなれなかった。――特級の実力を持っていながら、呪術師から呪詛師に転じてしまった、五条悟の同級生。彼はどうして、一般人を虐殺した時、残穢を消さなかったのだろう。自分も彼と同じように呪詛師として認定され、処刑対象になるのだろうか。でも、自分が殺したのは呪詛師だ。一般人じゃない。――違う、自分は違う、呪詛師ではない、一般人はひとりも殺していない、それどころか今まで身を削って任務をこなし、人を助けてきた。違う、違う、違う。)――――…………、(物音が聞こえた気がして、顔を上げる。そこには、どこに隠れていたのか、震える小さな子供の姿があった。)……おまえも、阿閉の人間か。(答えはない。けれど、自分を見るその瞳に強い恐怖が宿っている事はわかった。)……そこに何がいるか、見える?(己の強い負の感情に寄せられてきたのか、柱の向こうに低級呪霊がいた。そこを指さすと、子供は必死に首を横に振る。)――じゃあいい。早くここから出ていきな。そんで、まともな人生を送れ。
(報告書は恙なく記入し、無事に提出を終えた。そして、今日限りで呪術師を辞する事も伝えた。「疲れました」、ただ、そう伝えた。高専からの貸出、という形で使わせてもらっていた「叡傑」と「蠱惑」も返却した。その日、高専に五条悟がいなかったのは幸いだった。どんな顔をして向き合えばいいのかわからない。――五条先生、ごめん。せっかく、おれのこと助けてくれたのに。高専に、入れてくれたのに。結局、おれは人殺しになっちゃったよ。呪術師には、なれなかった。ごめん。――そして。あの子の顔が、名前が、声が、脳裏に浮かぶ。正義の味方になりたかった。ヒーローになりたかった。自分が初めて、この手で助けた命だった。自分でも、あんなふうに誰かを笑顔にできるなら。強くなるために、努力をしてみようと思った。ヒーローに、なれるかもしれないと思えた。家族になればいい、と言ってくれたのがどれほど嬉しかった事か。一緒にいる時が、何をしている時よりも楽しかった。彼女と、彼女の父親と過ごす時間が、どれほどあたたかく、幸いだった事か。アトジくん、と彼女が己を呼ぶ声を聞く度に、幸いが心に満ちるようだった。彼女と出会ってから、世界に色がついた。)
(――ごめん、一期ちゃん。五条先生にも、きみにも、もう会えない。正義の味方どころか、おれはもう、ただの人殺しだ。)