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(岐路の記録。)

西風千鶴〆 ♦ 2021/02/10(Wed) 17:27[110]

(記録──2014年2月。西風千鶴、家入硝子との根競べを制する。)
(「医学部は6年制のはずです」「先生は、今年23…4?」「ここに勤務して何年目ですか」「計算があわないのはなぜですか」。 家入硝子に詰め寄って、何度あしらわれようと食い下がり。とうとう“ズルして”2年で卒業する方法があると聞き出した。自分も2年で出たいと思った。早く、彼の助けとなりたい。)

(記録――2014年2月末。西風千鶴、家族と再会。)
(結論を先に記しておくと、千鶴の献身はそのほとんどが彼女の自己満足だった。家族は身代に手を付けず、自力で医療費を捻出していた。そして援助を辞退する代わり、どうか娘を返してくれと、何度もXに掛け合ったそうだ。千鶴があの檻に囚われた、その直後から、何度も何度も。入院先も、腕のいい医者も、当然都合などされておらず。「何度か手紙に書いたんだけど、千鶴の返事、噛み合わなくて」。兄の気遣う声を聞きながら、唇を噛み、うつむいた。瞳にみるみる涙が溜まる。それは悲しいからではなくて――『千鶴も一緒に、』 『家族でいようって、』 あの日、彼が解き放ってくれた、3年間抑えてきた思い。最初から叶っていたなんて。おなじ気持ちだった、なんて。千鶴は母に抱きついて、溢れるに任せてわんわん泣いた。さびしかった。無理だった。わたし、ものすごく頑張った。ぜんぶ素直に言葉にした。『ばあか』 『言えばよかっただろ、』 大好きな優しい声がする。そのとおりだったよ、王哉くん。母が泣き、父も泣き、そこではじめて兄も泣いた。自分をずっと許せないでいた、罪悪感に囚われ続けた、とても不器用で、優しいひと。ああ、お兄ちゃんも救われた。解放されたんだ。やっと。)

(記録──2014年4月。西風千鶴、生家へ戻る。)
3月末に高専を出るよ。最後の1年は、家で過ごす。(おだやかな声でそう告げたのは、家族と再会した直後だった。)王哉くんと会える時間、ちょっとだけ減っちゃうかもしれないけど……。でも高専にも、通うから。みんなで試験対策しようって、静音ちゃんたちと約束したんだ。(彼やたくさんの友人たちと時間をともにした高専は、千鶴にとって母校のような、とても大切な場所となっていた。資料や教材も揃っているから、環境としても申し分ない。宣言どおりこれからも、毎日のように顔を出すはずだ。)
(おさない彼と母の物語に、胸が潰れる心地がした。どんな言葉を紡いでもその喪失は埋められないけれど、だからこそ、そばにいたいと思った。)……お花、供えに行ってもいい?(そっと手を握り、微笑みかける。その後悔ごと、痛みごと、このひとを愛したいと、思った。)

(記録──2014年8月。西風千鶴、高等学校卒業程度認定試験を受験。)
(記録──2014年9月。西風千鶴、高等学校卒業程度認定試験に合格。)
(記録──2015年2月。西風千鶴、都内大学医学部に合格。)

(記録──2015年3月。西風千鶴、生家を出て七竈王哉と同棲を開始。)
(1月には彼の昇級、2月に自身の大学合格と、祝いごと続きの冬だった。がむしゃらに励んだ1年間、最後に千鶴を待っていたのは、恋人からの同棲の提案。)………、 …ぅん……暮らす………っ(ふたつ返事で頷いて、我慢できずにすこしだけ泣いた。家具を選び、食器を揃え、近所を部屋着のまま散策し。ひとつ、またひとつとルールが生まれ、部屋はふたりの色に染まってゆく。彼は術師の任務があるし、千鶴もレポートや実習がある。たがいに余裕がなくなって諍うこともときにはあったけど、同時に仲直りも上達した。負傷の連絡にだけは慣れず、何度息が止まったか知れない。けれどそれも月日を追うごとに、じょうずに隠せるようになる。「いちいち泣いてちゃ患者が死ぬよ。」目の奥が熱くなるたびに、硝子のその言葉をよすがとした。)

(記録──2018年3月。西風千鶴、“ズルして”3年で都内大学医学部を卒業。)
(やはり硝子のようにはいかない。余分に1年かかってしまった。)

(記録──2018年4月。研修医・西風千鶴、家入硝子の助手として、東京都立呪術高等専門学校に就職。)

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