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(褪めない光がある世界)

治葛静音〆 ♦ 2021/02/09(Tue) 23:02[100]

(高専に戻って来て、一足先に目を覚ました女は真っ先に彼に会いたがった──が、面会謝絶を言い渡され、正直生きた心地がしなかった。自分の傷を治してくれた家入の腕は信頼しているが、だからこそ一週間も会えないというのはそれ程彼の容態が酷いのだろうと容易く推察出来てしまう。それでも待っことしか出来ない歯痒さに悩みながら過ごした数日、──補助監督に呼び出されたのは、 彼と顔を合わせる前日のことだった。)……手紙?(高専の一室にて、手渡されたのは手紙の束だった。その数は、二桁に上るだろうか。紙の劣化が始まったものもあれば、真新しいものもある。その差出人の名前を見て、息を飲んだ。治葛静香。母の名前だ。聞けば、手紙はXの信徒だった一人の部屋に保管されていたのだという。検閲で弾かれ続けていた手紙は、終ぞ女の手元に渡ることはなく今日に至っていたのだ。どうして。なんで。今更。切れたと思った縁が再び目の前に現れたことで、震える唇はうまく言葉を紡げない。それでも手紙を渡してくれた補助監督にありがとうございましたと何とか礼を告げて、すっかり馴染んだ自室へと戻った。散々悩んで手紙に指を伸ばした頃にはすっかり夜も更けていて、窓から差し込む月明かりだけで文字を追うのは少し頼りない。それでも電気を点けなかったのは、ちょっとした自己防衛だった。綴られた文字をはっきりと見るのは、何だか怖い気がしたから。)……。(手紙の書き出しは、殆ど全部一緒だった。『静音、元気ですか。』それから続けて、後悔しているということ。もう一度会いたいと、一緒に暮らしたいと、子を思う母の気持ちばかりが綴られている。手紙の内容から察するに、母は何度もXに足を運んでいたようだった。けれど一度も顔を合わせたことがなければ、そんな話を聞いたこともない。──贄として決められた存在を逃してたまるかと、そんな教団の思惑があったのかもしれない。今となれば想像するしかないけれど、悔しさを磨り漬すように奥歯を噛み締めた。故意にすれ違っていた縁。失われた時間は、どうやったって取り戻せない。一番新しい消印は、ほんの三ヶ月前のものだった。そこに綴られていたのは、あの北千住の家から引っ越すこと。住み込みで働くことになったのだという、新しい仕事先の住所。待っていると、そう締め括られていた。)……お母さん。(小さな声で、紡ぎ落とす。思い出すのは、母と過ごしていた数年前の記憶。優しく明るい人だった。脆くて弱い人だった。例え今、母がどのような気持ちでいてくれたとしても、その優しさゆえに心を病んでしまった彼女から向けられた言葉は忘れられない。あんたがいなければよかったと、衝動で向けられたかもしれない言葉はされど幼い心に確かに爪痕として今も残っている。繋いだ手が、もう一度離されないとも限らない。──だけど。)……今度は、 あたしが守ってあげなきゃ。(ぽつりと零した言葉は、衒いない本音だった。 手を引いてくれる誰かのいる心強さを、女はもう知っている。教えてくれた人がいるから。ならば今度は、自分が母の光になりたいのだと、強く思った。)

(そんな決意のもと、2014年の春。慕う彼が進級するタイミングで、女は呪術高専を後にした。向かう先は、母の元。渋谷のスナックで働き始めた母は、何かが吹っ切れたように見えた。職場から程近い借り上げのアパートで再び始まる母と子の二人暮らし。苦労だって多いけれど、それも愛しい日常の一部だ。 続く 2014年、夏。友人達の助けも借りながら、何とか高卒認定試験に合格。2015年の入試は落ちたので、そのまま一浪。翌年2016年の春、人より少し遅れて晴れて大学生の肩書を得ることになる。この世の春だ。当たり前の人生が、花咲き誇るとびきりの幸福に思えた。時を重ねていく中で、変わったものも変わらなかったものもあるだろう。その中で、揺るがなかったもののうちのひとつ。──彼のことが、いっとう好きだった。例え誰と出会っても、何が起きても、この道を照らす光だけはいつまでも眩しいまま。)

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