西風千鶴〆 ♦ 2021/01/19(Tue) 17:22[39]
――高卒認定?(唐突に思えたその提案に、千鶴はきょとんと瞳をまるめた。勧めてくれた女性事務員は、カウンセリング担当のひとり。面談ではXにいたときの過ごし方にも話が及んでいて、提案はそれを受けてのものだ。「独学でそこまでやれるのだから、きっと難しくないはずよ」「試験は最短で8月、対策は春からで十分間に合う――」)…、ふふっ。(てきぱきとした声にかぶさって、千鶴がちいさな吐息を漏らす。首を傾ける事務員に、申しわけなさそうに微笑んだ。)ごめんなさい。なんだかおかしくて…。次の春なんてわたしには、もう来ないと思ってたから。
(頼めば家族への連絡だって、きっと容易に取れただろう。けれど千鶴が外にいることを、家族が知っては危険だと思った。本当はすぐにでも会いたい。兄の容態も確かめたい。けれど今は、まだできない。アパートを借りてひとりで住む。アルバイトして、貯金して、18までに資格を取る。俄かに拓かれた未来には、正直まだ実感が湧かない。理想どおりいかないかもしれない。苦しく険しい道かもしれない。それでも、とても尊いものだ。諦めず狡猾でいたわたしに、彼がくれた、わたしだけの道だ。)――…あれ、きみなりくん。……と、五条先生…?(誰かのことを思って歩くと、そのひとに行きあうのはなぜだろう。あてもなく散歩していた千鶴は、曲がり角から聞こえる声がよく知るふたりのものだと気付く。壁に手を添えてそっと覗けば、やはり見慣れた彼の背中。邪魔になってはいけないからと、踵を返そうとしたけれど――「多分俺、そのうち死ぬよ。」あっけらかんと響いた声に、足が凍りついて動かなくなった。)なに、…言って………(内側からありったけの力で、心臓がどんどん叩かれている。それを両手で押さえつけながら、息を詰めて耳をすませた。二級。しんどい。高専に来てすぐのころ、呪術についての説明を受けた。そのときに聞いた話では、彼は三級だったはず。得られた断片的な情報に教師の相槌を掛け合わせれば、答えを出すのは難しくない。二級昇級がかかった任務。贄の奪還が、それだったのだ。)……、(わかったところで、どうでもよかった。もともと損得勘定抜きに動くようなタイプにも見えない。あの夜、彼も言っていたことだ。千鶴だったのは偶然で、ほかの子だって構わなかった。それでも、と千鶴は思う。それでもわたしに触れたあの手には、わたしを見つめたあの瞳には、たしかに心が宿っていた。今だって気のないふりをしながら、わたしを案じてくれている。わかってる。知っている。打算だけではなかったことを。)……素直じゃないんだから。(缶を吸い込んだゴミ箱を見つめ、そっと憎まれ口を落とす。このまま任務にゆくのだろうか。すぐ追いかけて気をつけてねって、一言だけでも伝えたらよかった。素直じゃないのはわたしのほうだ。――呪術師のそばには死神がいる。隙を見せたら一瞬で喰われる。それが常である世界なのだと、彼の言葉を聞いてようやく、千鶴はただしく理解した。そうして、途端におそろしくなった。ほんのすこしだけ分かり合えた? なんてひどい思い上がりだろう。わたし、なんにも知らないじゃない。あの笑顔に隠した傷痕も、祓う理由も、目指す場所も。)…………、“強い技使えば使う程”、(不幸で返ってくんだよね――いつか彼が話していたことが、ふいに脳裏にこだまする。かぶりを振って、指を組んだ。祈りを捧げるときのように。)
(窓から飛び込んできた幸運と、見つめあった夜を覚えている。王哉くん。あなたがくれたわたしの未来に、わたしは、あなたにいてほしい。明日も。春も。朝も夜も、ずっと。)