三須原弐那〆 ♦ 2021/01/05(Tue) 07:20[17]
(言われるがままに目を瞑って走った。明日のために走った。こんなに苦しいのは初めてだと思うくらい息が苦しかった。それでも走った。彼の声を導にして、彼の背中を追いかけて。立ち止まってようやく居の中がひっくり返りそうなくらい息が上がっていることに気が付く。壁登りなんて冗談のような言葉をどこかぼんやりときいて。)……楽しいのですか?ひさゆりさん。(振り返ったその人が、笑ったから。まだ笑みを作ることも出来そうもない様子で問いかけたんだろう。彼の気遣いによってまだ息をしているが、今にも死ぬんじゃないかと思うくらいには気分が悪い。死にたくないから、立っている。言われるままにしゃがんでいる。そして、そして、)――、(耳をふさいだ手を越しても響く爆音に、瞼越しに何かが崩れていく先に、目開いて。――花を見た気がした。壁にぽっかりと開く世界という大きな花を。呆然としたまま、腕を引かれるだろう。なすがままだったと言ってもいいかもしれない。竦んだ足も震える手も引っ張られるまま穴を抜ければ、そこにもう花はなかった。抜き絵のような穴の先には景色が広がるばかりなのだから、当たり前と言えば当たり前だ。――いいや、花ならあった。ぐっと足に力を入れて、徐々に自分の意思で速度を上げていく。斜め前を見やれば、彼がいる。花咲くような表情に、洋服に、髪色に、彼というそのものに。鮮やかで確かな花が。)……ひさゆり、さん。(今度言葉が詰まったのは呼び名に迷ったからではない。どんな顔をしていいかわからなかったから。唇には微笑みを、眼には微かな水気をたたえて。)ここは、広いですね。(感受性が不具合を起こしたように様々な気持ちをうずめかせながら、たった一つ確かなことを紡いだ。夜空でさえ自由に見えて。心臓がうるさかった。)